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至福(1)

 12月某日。
 暖冬と言われて久しいが、この日も例に漏れず冬にしては随分暖かな日だった。先月木枯らし1号が吹いてしばらくは冬らしい刺すような空気を感じ、合田も真冬のコートを羽織ったものだが、ここ数日は不要だった。
 年末の大掃除として、この日は風呂場や洗面台、トイレといった水周りを磨き上げるのが合田の役割になっていた。潔癖な加納が割り当てたもので、当然合田の志願ではない。
「いつまで寝てるつもりだ」
 窓から射す柔らかな日の温もりを頬に感じながら惰眠を貪っていた合田のわき腹に、容赦のない蹴りが入った。
 目を開けると、加納は右手に雑巾、左手に洗剤ボトルの姿。
「似合うな」と言って合田はおかしそうに目を細めた。頭に姉さんかぶりの手ぬぐいが乗っていれば完璧。
「起こすのはもう3度目。これで起きなかったら、お前の顔を雑巾で拭いてやる」
 かなり本気で苛立っていると感じて、合田は慌てて起きた。
「何時?」
 のんびりと間延びした声で問う合田に対し、加納の声はきりりと「10時すぎ」と応える。続けて「昼までには終わらせる約束だろう」と言い残して加納はさっさと台所へ戻った。加納の分担は台所と玄関。
 シンクはすでに鏡のように磨き上げられており、加納は踏み台を使って棚や壁をせっせと拭きまわっているようだ。さほど家にいる時間もなく、禁煙して随分経っていることもあって大して汚れてなそうに思うのだが、意外なほど、加納がすでに拭き終わった部分とそうでない部分とはツートンになっている。
 洗面台でうがいだけして、合田も風呂磨きに取り掛かった。風呂場にきっちりバケツと洗剤、スポンジといった掃除道具が用意されていてつい苦笑が漏れる。幸い、日ごろからまめに掃除してあるからカビはない。水垢もほとんどない。といっても、これも結局、加納のまめさに拠るところが大きいのは合田に否定できない。
 合田が換気扇や扉、天井に壁と拭けそうなところは思いつく限り拭き終えてトイレに取り掛かった頃、加納は真剣な目で台所の換気扇を取り付けていた。どうやら台所の掃除は終盤戦の模様。
 トイレと洗面台も終えて、なるほど、加納が大掃除にこだわったとおり、普段より1段明るく感じて気持ちがいい、と合田が自分の分担箇所を満悦して見直していたとき、台所から「もうすぐお茶が入るぞ」と声がかかった。この抜群の呼吸。今こうしてともに年の瀬の慌しさを過ごすのが加納であることに、今更ながら喜びと幸福で全身が震えるのを合田は受け止めた。

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