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春陽(2)

「あれ?」
 合田はテレビをつけるでなし、加納の手元を眺めていたのだが、つい疑問が、考えるより先に声に出た。
 合田は「あれ?」と言っただけだが、加納はそれだけで「ああ。関西風」と疑問にあっさりと答えを出した。関東風の雑煮ならすまし。ところが加納はガサガサとスーパーの袋から白味噌を取り出して鍋で溶きはじめたのだ。
「京都にいる頃に、味をしめてね。白味噌仕立ては、なかなかいいな」
 と加納は説明したが、合田は単純にそうとは思わなかった。確かに加納自身、大阪や京都で暮らした期間があるが、よほどのことでなければ正月は水戸へ帰省していたはずだ。そうそう関西風の雑煮を食う機会があったろうか。
 自分が大阪出身だから。関西の味に親しんだ者だから。だから。
「ありがとう」
「なに、俺の好みに合っただけだ。礼には及ばん」
 相変わらず、涼しい風がそよぐような微笑を見せながら加納はてきぱきと支度を調えた。
 食卓に並んだのは、出来合いの黒豆、昆布巻きなどおせちセットを皿に移し変えただけのものと、鰤の照り焼き、雑煮が加納の手によるものだった。
「スーパーの惣菜で正月というのも、やもめ同士らしくて、まあいいだろう」
 加納の自嘲を含みつつもその実そんなことを気にもかけていない言い草に合田は小さく噴出した。
「ちゃんと正月の気分が味わえる、これだけでも俺には過ぎたるもんや。祐介がおらんかったらコンビニ弁当で正月や」
「そりゃひどいな」
 加納はさっぱりと笑ったが、ふと合田の表情は陰りを含んだ。
「祐介」
 一段トーンの落ちた合田の声に、加納の笑みが消え、何事かという風に合田を見た。
「世間体なんてつまらんもんやが、お前みたいな仕事やと、大事ちゃうか」
「何を言っている?」
「やもめ」
 合田の言わんとすることを察したのか、真意を推し量ろうとしているのか、加納はじっと合田の目を無言で睨むように見つめた。
「欠陥と、みなされへんか?」
 合田は離婚歴がある。知っている者なら、その後の独身について「結婚に懲りたんだろうよ」と笑うことはあっても妙な気を回すやつはいない。だが加納は人一倍の美貌を誇りながら、未だ独身なのだ。普通、重責の激務だからこそ、家庭を守る妻がいて仕事に打ち込めると、仕事を持つ男なら誰でも考える。出世を狙う野心に満ちた者なら、それなりの縁を結ぶ機会でもある。美貌だからこそ、女には不足していない、むしろ一人に絞らず遊び人で鳴らしているならまだしも、加納に限っては、露ほどもそんな気配がないのだから、おそらく本人が気づいていないだけで加納の周囲には加納の独身についてさまざまな憶測が囁かれているに違いない。よほどうまく立ち回っているから尻尾を出さないだけで、女遊びはそこそこ、というのが雑音の大半として、中には女性へ無関心であることの本質を見抜いている者もいないとも限らない。
 18年もの間、ごく身近に接しながらその尋常でない思いに気づかなかったくせに、いざ気づいてしまうと加納の周囲は雑音に満ちていても不思議でない、そんなことに余計な気を回してしまう合田であった。
「馬鹿馬鹿しい」
 加納にしては珍しく、心底うんざりし、合田を軽蔑する顔を見せた。
 独身を欠陥とみなすなら、その欠陥を補って余りある仕事ぶりを発揮すれば良いだけのこと、それが加納らしい一本気だ。妹の偏向を疑われて地方をどさまわりしていたときも、疑念を跳ね返す働きをしてき、東京地検特捜部というエリートの一翼を担うまでに自力で這い上がった男である。
「雄一郎、お前、俺にカモフラージュの結婚でも勧める気か、え?随分くだらんことを考えるようになったものだな、その腐った脳みそは」
 加納にしては珍しいすごみを見せて合田にからんできた。
 合田は真剣な表情を崩さないまま、しかし大胆なことを言った。
「俺は祐介を離すつもりはないよ」
 加納の表情がはっとこわばり、合田を強い眼差しで見た。合田は続けた。
「どうしても必要になったとき、祐介が結婚という手段を選んでも、責めへん。けど、離さへんよ」
「わけがわからんな。誰も幸せにならん。なぜそんな手段を俺が選ぶと思う」
「選らばへんやろうな」
「わかってるなら、なぜ」
「祐介。どんなに頑張っても、俺たちは世間的にはただの友人や。夫婦でも恋人でも、義兄弟でもない、他人や」
「わかりきったことだ」
「やもめなんてつまらん言葉使うな。失いたくない相手がいるなら、言うな」
 直情型の合田にしては相当珍しい、回りくどい言い回しで、要は、加納が何気なく言った「やもめ同士」が癪に障っただけなのだ。自分が加納にとって失いがたい存在だと認められたかったのだ。
 加納は力が抜けてほっと和らいだ表情を浮かべた。
「雄一郎」
 と合田にかけた声は穏やかで優しい。
「お前、相当頭が緩んでるぞ。復帰が思いやられるな」
「心配いらん。現場の空気を吸えば一発や」
「どうだか」
 加納は先ほどまでの怒りを収めてからりと笑った。
「さあ、冷めないうちに食え」
 と加納が威勢のよい声で促した。
「あ、うまい」
 白味噌仕立ての雑煮には、金時人参、丸大根、丸餅、これだけしか入っていない。関西でも最もシンプルな型の雑煮だ。
 一口すすって、餅も食いちぎり、合田は笑顔をほころばせて加納を見た。
「うまい」
 とさらに繰り返して満足の笑みはまるで少年に戻ったかのような透明感だった。
 加納は良かったともなんとも言わず、自分も箸をつけた。
「まーるく1年をすごせますように、で材料みんな丸いねん」
 丸い人参のひとかけを箸でつまみあげながら、合田が幼いころ母から教わったとおりを語る目元は穏やかで、正月に愛する者とのんびり過ごしている時間を心底喜んでいるのが溢れでていた。
 心底、見返りのない愛を覚える相手と過ごすのどかな元旦の風景、これは合田にとって、母を失って以来のことだった。貴代子では埋められなかった合田の心の空隙を、間違いなく、加納が知らず知らず満たし始めていた。
「まーるく1年を、か。俺たちには難しい問題だな」
 加納はくすりと小さく笑った。
 新年早々、小野証券の強制捜査に踏み込む加納の心中を思うと、合田はなんと声をかけて良いのか迷った。自分もこの男も、何事も波乱のない丸い日々など到底過ごせない人種なのだ。
「思い切り、やってこい」
 合田がそう言って加納の目を捉えると、加納もまた「ああ」とそっけなく答えながらも、目には熱っぽい光が一瞬燈った。
「鰤もうまい。祐介はほんま料理がうまいな。それにスーパーのおせちもなかなか」
 合田は満足げな柔らかい表情で卓上の料理を綺麗に食べてしまった。そんな自分を優しい眼差しで見守る加納がいることを感じながら。

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