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情熱(2)

 風呂もすませてベッドに転がって本を開いては見たものの、さっぱり集中できないのは、加納に会えなかった寂しさが頭の大部分を占めているせいか、と思うと合田はため息がでた。結婚していた頃、合田が帰宅しても学生だった妻は研究室に出ていて留守であることも多かった。だが、これほど会いたい、寂しいと感じただろうか。待つ身のはかなさよ。そんなものをまさかこの年で、男相手に覚える羽目になるとは。
 結局本は諦めてごろりと仰向けにひっくり返り、目を閉じてこの1年を振り返ってみることにした。思えば、刑事なぞという仕事のおかげで、盆暮れ正月などない生活を続けていたから、こんなにのんびりと大晦日を過ごすのは初めてかもしれない。
 ところが、いざ1年を振り返ろうとしても、やはりLJ事件の一連ばかりが思い出され、ついに犯人を追いきれなかった悔しさ、警察という組織への嫌悪感がいまさら湧き上がり、嫌になった。気分を変えてほかのことを考えようとすると、加納の顔ばかりが思い出される。会えなかった寂しさが増幅して、さらに嫌になった。1年を振り返るのはなんと苦しい作業なのか、と合田は今夜二度目のため息をついた。
 年が明けるまであと半時間と迫った頃、玄関のノブを回す音に合田ははっと身構えた。まさかこんな安アパートへ、しかもこんな大晦日の深夜に泥棒もなかろうに、となると部屋の主が退院したてで弱っている刑事一匹と知っている何者か、かつて俺が捜査なり逮捕なりにかかわって怨恨を買った何者か、そんな思いを瞬時によぎらせながら、合田は台所と六畳間の間の壁に身を寄せ、玄関をにらんだ。
 刑事業を休業して2か月。果たして大晦日深夜を狙う賊を相手にかなうのか。
 合田の背に、激しい緊張が鋭く走る。
 台所も玄関も明かりを落としているから、六畳間から漏れる明かりだけが頼りだ。
 ドアが開くと、長身の男の影がすっと入ってきた。が、合田に恨みを持つ者が急襲してきたにしては、警戒がなさすぎる。影は音を立てないよう慎重にドアを閉めると、きちんと内から鍵を掛けなおし、壁に手を沿わせて明かりのスイッチを探しながら靴を脱いでいる。ガサリと小さく乾いた音がするのは、何かを上がり框に置いたらしい。
 明かりがついて、納得がいった。ごく当たり前の風情で、物慣れた様子で入ってきたのは加納だった。
「祐介?」
 随分素っ頓狂な声が出た。
「雄一郎、そんなところで何をしてるんだ」
 加納こそ驚いたという顔で、寝室から体半分だけ出している合田を見た。
「なんでここに」
 合田は先ほどの声のまま、表情まで頓狂そのものになってしまっている。
「なんとか、年越しには間に合ったな」
 加納はいつものようにゆったりと柔らかな笑みを浮かべた。
「今年は帰られへんて、さっき言うてたやないか」
「水戸へはね。そう言ったはずだが?」
 そう言われて合田は全身が脱力するのを感じた。
 ああ、確かにそうだった。だがここへ来るとも言わず、あんたは一方的に電話を切ったじゃないか。
「恨みがましい奴が、弱ってるのを幸い、襲撃に来たかと本気で思った」
 我ながらなんとも悲しい稼業だ、悲しい習性だ、と思いながら合田は玄関をにらんでいた自分に言い訳をした。
「客体の錯誤も甚だしいな。そんな勘の鈍さで復帰してやっていけるのか」
 加納は軽く笑ったが、合田はただひたすら力が抜けた。錯誤も何も、前もって来ると知らせなかったお前が悪い、と思うが、それ以上に、思いがけず対面を果たせたことが嬉しくてならない。
「どうしてもここへ帰ってきたくて大急ぎで仕事を片付けたんだ」
 加納はゆったりと腰を折り、足元に置いたビニール袋を取り上げた。
「このとおり、明日の朝飯も用意した」
 とにっこり微笑まれてしまえば、合田にはもう返す言葉が見つからなかった。
 合田には、加納の「ここへ帰る」という何気ない言葉が無性に嬉しかった。
「来る」ではなく「帰る」と表現する場所が自分の元であることが、たまらなく嬉しかったのだ。
 加納は上がり框に、買い物袋片手に外出から戻った恰好で突っ立ったままだ。
 合田は台所を経て玄関に行くと、加納をふわりと抱きしめた。
「おかえり」
「ただいま」
 短くも甘美な挨拶だ、と合田はしみじみと味わった。
 マチビトキタル。
 愛しい者との逢瀬はこんなにもときめくものなのか。こんな喜びを感じられるなら、待つ身のせつなさもまた、悪くない。
 合田は加納の肩に顔をうずめて目を閉じた。

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コメント

はじめまして。
興奮さめやらずコメントさせていただきました。
一ファンです。
3作品とも好きです。
私もいままで、隠微?な義兄弟のその後を脳に糸が引きそうな程考えてました。
こんな幸せな二人が読めて嬉しいです。
ぜひぜひシリーズ化を!!


今回の合田さん。
ありあまる可愛さに完全にやられました。メガトン並みに。
ギャー!
なんですかこの生き物は!!!
これはいかんいかん。
5日から仕事に出たら絶対職場でも襲われる。

「ああ、麺がのびてしまう」には大笑いしました。
義兄が本当ーーーに幸せそうで。。。。
むくわれてよかったね。。。と婆のように言いたいです。


新冷血では二人はどうなっているのでしょうか。
どんな形であれそれなりに幸せであればと願ってやみません。

乱文失礼しました。


投稿: あおまめ | 2010年9月 4日 (土) 12時31分

コメントありがとうございます。

合田がかわいかったですか。書いた私もよくわかりませんが(苦笑)。

新冷血では合田と加納はどうなっているでしょうね、ほんと気になります。

高村さんの作品の良さは、読者それぞれが豊かに想像力をかきたてることだと思います。あおまめさんにも糸が曳きそうなほど考えた「その後」があるように。
残念ながらシリーズ化、というほど長期的視点で妄想を書いておりませんが、私なりに考える合田と加納のアホアホラブラブはもう少しだけありますのでよろしければもうしばらくお待ちくださいませ。

投稿: じょん | 2010年9月 5日 (日) 13時01分

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