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春陽(1)

 正月返上で仕事のはずだが、何時に登庁予定なのだろう。
 いつまで寝かせておいてよいものかと、先に目覚めた合田は加納の穏やかな寝顔を眺めていた。やつれた、というのではないが、少し痩せたという印象は免れない。イブの夜にも感じたことだ。だが、顔色は悪くない。いやに白いのはこのところ山登りはおろか、ろくに外へ出ていないからだろう。上司との付き合いゴルフはどうなった?
 それにしても。美しい白磁の肌の質感は、つい唇を寄せたくなるほどだ。知性的にきっと上がり気味の眉、対照的にいかにも温厚そうに柔らかな目元は今は閉じられているが、長いまつげがパサリと音を立てそうな存在感。すっと伸びた鼻筋、ふっくらした唇はほんのり赤みがあって艶かしい。普段は若々しい美貌だが、うっすらと産毛のようなやわらかで細い無精ひげが伸び始めた様子が、年相応にようやく見えるか、というところだ。
 知らず、もう一度視線は唇を追い、夕べ、一度は加納からしかけられ、二度目は自分からしかけた口づけを思い出し、合田は年甲斐もなくちょっと照れた。
 加納が寝返りを打った。どうやら、窓から射す光を避けて窓に背を向けたかったらしい。もう10時近いから、強い日が射すのだ。
 こんな時刻まで加納が惰眠を貪るのは珍しい。ふらりと合田の家を訪れて、翌朝にはふらりといなくなる、ここ数年の加納は、いつも合田よりも早く起きて身繕いをすませ、ちゃっかり朝のコーヒーをすすっていたのだ。
 それだけ、疲れてるんだろう。俺の前では、ええ。存分に寝ろ。
 そうは思うが、場合によっては強制捜査に踏み切るだろうと推測をつけている合田としては、起こさねば後で叱られるやも、と考えてしまう。
 合田が答えを出せずに一人悩んでいると、キッチンに置きっぱなしの加納の鞄の中で携帯電話が鳴り出した。
「おい、電話。祐介、電話やで」
 合田はそっと加納の肩を揺らした。
「取ってきて」
 と甘えたことをぬかす加納はまだ目も開けない。
 仕方なく合田は立ち上がってキッチンから加納の携帯電話を枕元まで持ってきてやった。
 やっと目を開けた加納は合田の手からそれを受け取り、ものぐさにも横になったまま、「はい、加納です」と電話に出た。
「はい、はい。それは昨夜のうちに用意しておきました。キャビネットの中に。鍵は事務官が。はい。了解。お疲れ様です」
 布団の中で目を閉じたままのくせに、いやにはきはきと事務的に応対する加納の姿に噴出すのをこらえるのが精一杯で、合田は意味もなく窓の外へ視線を移したりだった。
 電話を終えるとまた加納はふとんを目元までかぶってしまった。
「ええんか、行かなくて」
「15時集合。まだ大丈夫だ」
 随分遅いが、集合時刻を決定しているということは、「やはり強制捜査に踏み切る」と直感した。
「準備とか、あるやろう」
「済ませてきた。昨日は俺だけ居残り。その分今日は少しサボらせて頂く」
 と言っても、はっきりした口調からすると、加納はもう完全に目覚めていた。ただ横になって目をつぶって体を休めているだけにすぎない。居残りといっても、日付が変わる直前にはここへ帰ってきたのだから、連日深夜もしくは泊り込みで捜査に関わってきたことからすると、早すぎる帰宅時刻だ。おそらく、コーヒーも飲まず、飯も食わず、最大限の集中力を発揮して猛烈な勢いで仕事を片付けたに違いない。
 俺に会うために。
 合田はついほころびそうになる口もとを、手でさすってごまかしてみた。
 電話を渡した合田はそのまま加納の枕元にあぐらをかいて腰を落ち着けていたが、布団の中からほっそりした手が伸びてきて、合田の膝をすっと優しくひと撫でした。
「お前がいる」
「ああ」
「間違いなく雄一郎が、俺のそばに、いる」
「ああ」
「・・・たまらないな」
 クリスマスイブのあの日、飄々といつもどおりの風情で合田の懐へ戻ってきた加納だが、絶望から這い上がった喜びを今なおかみしみているらしい。
「祐介が、いる」
 と今度は合田が加納の額をひとなでした。
「ああ」
「俺のそばで、安心して眠る祐介がおる」
「ああ」
「・・・幸せや」
 はっとしたように加納は顔を上げて合田を見た。少し頬を赤らめているあたり、合田の「幸せや」が相当嬉しかったか。さすが純粋培養、免疫がない。
 合田は加納の髪をくしゃっとまぜ、「そろそろ起きろ」と自分も立ち上がった。
 加納は布団からごそごそと這い出しながら、すっきりした声で「雑煮を作ってやるよ。餅、買ってきた」と言った。
「へえ、関東風の雑煮か。雑煮なんて、何年も食ってない」
 合田は無邪気な笑顔を弾けさせた。
 「何年も」とはいつからのことか。貴代子が雑煮を作らなかったのか。それとも刑事稼業が忙しく元日もへったくれもなかったか。離婚以来数年という意味なのか。言葉を発した合田自身あいまいな「何年」だった。
 当然、今ここで自分が憂うことでも、問うべきことでもないと割り切っているのか、加納もその言葉を深く探る様子はなかった。
 加納が洗面と髭剃りを済ませてさっぱりした顔でキッチンに立つと、ごく当たり前の風情で合田はテーブルに着いて、すでに「出来上がるのを待つ役」に徹していた。料理を作ってやるなどと薄気味悪いことを言い出さない合田らしい姿を認めて、加納の顔には微苦笑が浮かび、それを見て合田も照れ笑いを浮かべ、という馬鹿馬鹿しい朝の風景だった。

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