« 9/6更新 | トップページ | 純真(2) »

純真(1)

 加納は不思議と、合田の作った卵焼きをせっせと一人で食い「お前も食えよ」とは言わない。退院して間もない合田が何もつままずにちびちびとウイスキーを啜っているのだ、人一倍気遣いのできる加納なら、体に悪いからとかなんとか言いそうなものだが。
 水戸へ帰省する時間を惜しむくらいだから、よほど根を詰めて仕事して、外見はいつもどおりおっとりとしているが、本当は相当疲れてるんだろうか。ちょっとしたことにも気を回す余裕がないくらいに。
 合田は、加納の落ち着いた様子から何か伺えやしないかと、またも加納に見入っていた。
「白髪の数でも数えてるのか?」
 と手元から顔も上げずに加納が笑った。
「数えたら、余計増えるかも」
「そりゃほくろの俗説だ」
 合田が加納を見つめること自体は、それほど嫌でないらしい。若い頃から人一倍目立つ美貌を本人は自覚しておらず、むしろ他人からの無遠慮な視線を嫌ってきた加納だが、今は合田の執拗な視線に動じず、逃げもせず、悠長にグラスを傾けている。
 ああ、無防備なんだ。
 合田が導いた結論は、非常に気持ちよいものだった。
 加納は自分とは違って人付き合いもでき、それなりに器用に組織の中を泳いでいるが、それでも、おそらく世間一般の男どもよりも、他者との間に置く壁は厚い。人間関係をそつなくこなすのは、生きる術と割り切ってのことで、深く他人と関わらない。学生時代からの付き合いだからこそわかるが、加納にはそういうところがある。誰にも分け隔てなく優しい代わりに、誰にも心を許していない頑なさを、合田はよく知っている。
 その加納が、自分の前では油断しきっている。
 小さな喜びと満足の後に、疑問が湧いた。
 なぜ、俺だったのだろう。
 合田はいまさら考える。合田は他者との間に壁を作るどころか、自分の強固な殻に閉じこもる貝のような生き方しかできない男だ。なぜ加納はよりによって広い海の中から俺を見つけ、貝を優しく開けて滑り込んできたのだろう。
 ふいに加納が、穏やかに、実にふわりと軽やかな笑みを浮かべて合田を見た。
「お前の目は、いいな」
 と言う。
「目?」
「目は口ほどにものを言う。目は心の窓。お前の目は、正直だ」
「じゃあ俺が今何考えてるか、わかるか?」
「加納祐介という、目の前の男について。この変態をどうしてくれようかということについて」
「変態・・・」と呟いて、弾かれたように合田は大笑いした。
 世の中に、これだけの美貌を誇る男に対し「変態」と形容するやつなど皆無だ。加納に似合うのは、清涼、高潔、そんな言葉だ。だが、確かにこいつは変態だ。二十年近くも一人の男に思い煩い、クリスマスイブの真夜中に拙いバイオリンごときで感極まって泣いてしまう変態だ。ほかの誰が知らずとも、俺だけは知っている。
「おい、変態仮面」
 面白がって合田は加納をそう呼んだ。
「なんだ、変態仮面2号」
 加納はにこりともせず即座に答えた。
「さっきのクイズ。正解や。俺は、お前との関係について考えてた。これまでのこと、これからのこと」
「ほう、それで?」
「お前、俺のどこに惚れた?」
「目」
 加納の返事は即答だった。
 “惚れた”という直截な言葉にはいまさら照れもなく、素直に認められるらしい。
 理由を、とさらに合田にねだられ、加納は少し考えて、「透明で、一点の曇りもない目。一見冷たいようだが、実は温かい眼差しだ。その温かさが、雄一郎そのものだ」と応えた。「俺にはないものだ」とも付け加えた。
 加納に温かさがない?そんなわけない。俺はいつだって加納の温もりに甘えてきたのに。
「俺はあんたの、飄々としたとこが好きや。爆風が起こってもちゃんと立っていられる足元の確かさあっての、飄々。決して惑わされず、自分の道をまっすぐ進む強靭な意思。なにもかもが眩しいくらいに、うらやましい」
「馬鹿な!」と言って加納は驚いた顔をした。
「俺は卑怯者だよ。甘言に弄され、ふらふらと足元を失う、弱い人間だよ」
 この男にも、そんな経験があったのだろうか、と合田は考えた。甘い言葉に乗せられてしくじった過去。ちょっと考えられない。自分を卑怯者と貶めるほどの過去?
 いや、そういう具体的な事実があったかどうかではなく、加納は単に、自分も弱さのある一個の人間だと言いたいだけだろう、と合田は納得することにした。
 今度は、加納がじっと合田を見つめた。まっすぐな視線に合田も負けじと視線を絡ませていく。
「人間は弱い。そう知っていればこそ、生きていける。そう思わないか?」
 きっとお前の弱さを知る人間は、この世にはほとんどいない。みな、お前を憧れや称賛の目で見るばかりだ。俺もそんな一人だった。自分には望みえない出世や、世間並みの幸せの代替を加納に望んでいたし、精神的支柱であってほしいとその立場に勝手に据え続けてきた。
 星の数ほどいる人間の中で俺たちが出会った偶然。他人との交わりが希薄な者同士、惹かれあい、なつきあったこの十数年。海の底にひっそり沈んで孤独を味わっていた俺を見つけ出した加納の目。
「すごいな」
 合田は、心なしかうっとりしたような、柔らかな目をしながら言った。
「何が?」
「出会いというか、運命というか、そんなようなもの」
 加納はちょっと考える風に、合田からさらりと目をそらせて手元のグラスに視線を落とした。
 グラスの縁を加納が軽くぴんと指先で弾くと、グラスの中の液体は小さく波紋を描いた。
「お前に、俺は共鳴を感じ取ったんだ、きっと。俺も雄一郎も、生き方はまるで違う。どちらも不器用と言う点では似ているが、そのほかでは似たところは皆無だ。だが、共鳴に誘われるがまま互いの距離が近づいてみると、これほど居心地のいい相手もいなかった。俺は、そんな風に思う。運命という言葉は受動的で責任放棄のようで好まないが、お前が運命というなら、甘んじて受け入れよう」
 合田には、共鳴という言葉がなにやらときめいた。同じ波長を持つもの同士でなければ絶対に感じ得ない特定の波長を、感じることができる唯一の組み合わせ、それが俺と祐介なのだとしたら、どれほど幸せなことだろう、と。
「俺は、これからもいっぱい祐介に甘える。祐介はきっとこれまでどおり、俺のわがままに応えてくれる。でも」
「でも?」
「祐介、俺にも存分に甘えろ、何も力にはなれんかもしれんが、たまには弱音のひとつやふたつ、吐き出せ。ええか、俺が、この俺が、お前の戻る家や」
「最高だ」
 加納はふわりと顔全体の筋肉を弛緩させて柔らかな笑みを浮かべた。透き通るように美しい、と合田はまたも加納の美貌に見とれる羽目になった。
 魂が震えるほどに共鳴しあう二人の心。それはぞくぞくと歓喜となり、一方でいよいよ俗世での関係は欺かねばならない新たな地平に二人して降り立ったということを合田は強く認識した。
 加納が甘えるように微笑みをさらに緩ませる様が嬉しくてならない合田だった。

|

« 9/6更新 | トップページ | 純真(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 9/6更新 | トップページ | 純真(2) »