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新連載への期待

「新冷血」はまだまだ合田の登場は先のような気配ですが、いつ「加納祐介」の4文字が登場するかとどきどきはらはらわくわくです。

加納ファンとしての非常に身勝手な希望的観測を述べれば、新冷血では加納の登場場面はたいした量でなくとも、太陽を曳く馬よりも存在感を発揮するのでは、と期待しています。根拠は、レディ・ジョーカー単行本であれほど「義兄」呼ばわりされていた加納が、文庫版ではほぼすべて「加納」に置き換わっていた、その事実だけですが。

ただ、その事実だけ、って結構大きいと思うのです。「義兄」は合田から見た”立場”にすぎません。しかも過去の。でも「加納祐介」は”個”です。高村さんは加納の個性を見直して新連載に臨んでいらっしゃるのではないかと思うのです。

・・・欲目かしら?

まあ、登場シーンが少なかろうが、その中からきらりと光る個性をこちらは勝手に見出しますがね、フフ。

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靴磨き

家事全般が苦手です。

私が加納を好きなのは、仲良くなれば家事をやってくれそうだからかもしれません。合田がうらやましいぜ。しかも笑顔で「おかえり」って迎えてくれるんですよ!!
アイロン?もう何年も使っていません。ノーアイロンのシャツを買っています。
掃除?人間埃で死にはせん!(開き直った)

でも最近、「ああ、こんな皺のシャツ着てたら加納に笑われる」とか、「こんなテーブル、加納が見たら卒倒する」とかぶつぶつ言いながら家事をすることが増えました(病気ですね)。加納に見られても恥ずかしくない自分、というのを作り上げるのが、私にとって「人並みの生活」を送る一種の手段となってきています。

ありがとう、加納。

恋の力って偉大!!

そんな不精な私ですが、唯一胸を張って加納に言えることがあります。

「靴磨きは趣味です」

アンケートをとったわけではないのですが、一般に靴磨きはあまり女性はしないというか、男性ほど必要がないように思います。靴の形状や素材、使用する期間など男性の革靴とは違うので。
が、私はかなりマニッシュなデザインの靴を好むので(一番好きなのはモンクストラップです。まず女性用では見つけられません)、男性の革靴と同じ手順で靴を磨きます。靴磨きのアイテムも充実しています。

「硬いブラシで、縫い目の汚れを落とさないと」(LJ上p.52)

埃取りのブラシと、磨くときのブラシは当然馬毛と豚毛を使い分けます。クリームとワックスもそれぞれ違うブラシです。色が違えばまた違うブラシ・・・って何本ブラシ使えばいいんだよ!とキレつつも使い分け、コバ専用の補色アイテムまで持っている私は、靴磨きだけは加納に誇れる、と思っていいでしょうか。でもきっといや必ず加納の方が上手なんだろうな。うん。

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検事になりたかった私

私は法学部卒です。よく法学部というと周囲から「弁護士になるの?」と言われました。そのたび、私がなんと答えていたかというと「検事になりたい」でした。

まあ、実際には司法試験受けるほど真剣に勉強せず、最低限単位だけ取得するために刑法だの民法だの授業取りましたが、頭には何も残っていません。例外的に好きだったのは刑事訴訟法と商法でした。法社会学、法哲学、政治学、政治思想史など、実定法以外の分野で「正義とはなんぞや?」などと議論をするのが好きでした。今もその名残で、選挙の時期になるとわくわくします。

検事になりたいというのはまるっきり冗談で答えていた訳でなく、難関の司法試験を突破するなら、どこぞの事務所で子飼いにされる弁護士よりも、1人が国家機関という検察官の方がかっこいいじゃん、くらいのキモチです。実際には司法試験対策模試だけで撃沈したわけで。

なんで学生の頃にもっと勉強しておかなかったんだー、自分!!もしかしたら加納とどこかで出会えたかもしれなかったじゃないかー!!と後悔しきりです。(加納は架空の人。絶対出会えないわけですがww)

いや、加納がどんな組織の中でどんな仕事をしていたのか、その一端を知るだけでもきっと幸せだったに違いない。
思い切って法科大学院に行きたいなーといまさら思ったり。

そうそう、加納が六法全書片手に掃除機というシーン。

六法全書というのは、民法、民事訴訟法、・・・とそれぞれに分かれた詳細な法文書の集まりを総合していうものです。

さて、そこで私は考えた。加納はどれを片手に掃除機をかけていたのか?

(1)六法全書の中から、刑事訴訟法など1冊。これはありえる。
(2)ポケット六法:本気で司法試験を目指す人がポケット六法はあまり使いません。
(3)判例つき小六法:これが正解ではなかろうか。小六法にも大きさ、厚さ、何種類かありますが、加納ほど大柄な男性なら小六法くらいなら片手に掃除機くらいできそう。判例つき、としたのは、やはり司法試験でも受けようとなると判例を多く知っておく方が有利かな、と。

ということで、掃除機をかけていた加納が読んでいたのは、判例つき小六法、これだ!

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ご挨拶

高村薫さんの合田シリーズに登場する名脇役、加納祐介に恋しすぎておかしくなってしまったじょんです、はじめまして。

好きが高じてついにファンサイトならぬファンブログ、作ってしまいました。

登場場面などはちまちまデータ化していますが、非常に不規則な生活をしておりまして、いつ完成するかはまったく未定です。データ化に際して充分注意を払っていますが、誤字脱字、抜けがあればご指摘頂ければ幸いです。

データ集が完成してしまえば、このブログの目的の半分は達成です。あとは、このLOVEv祐介のカテゴリ内で愛ゆえのたわごとを時折語る程度です。

私は身近に高村薫ファンがいません。でも高村さんの作品が大好きで、加納が大好きで、それを誰かに語りたい!という思いで始めたブログです。

どうぞよろしくお付き合いくださいませ。

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川辺でピクニック

材料:赤ワイン(フルボディ。高島屋地下の2千円均一がベスト)
    バゲット(焼きたてがお勧め)お店で適当な大きさにカットしてもらうと食べやすい。
    フレッシュチーズ(マスカルポーネ、モッツァレラなどお好みで)

場所:多摩川堤。遠い場合は近くの公園で可。

服装:セーター、コットンパンツ、スニーカー(必須条件。あくまで爽やかに)

特記事項:葉桜の下であることに留意のこと。できれば5月7日が望ましい。

Sky

Wine

*チーズは種類によってはスプーン、フォーク、ナイフなどの道具が必要です。

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無垢(2)

 部屋に戻ると合田はまっすぐに風呂場へ向かって湯を張り、コートを脱ぐなりキッチンに立つ加納に「まずあったまってこい」と声をかけて六畳間へ下がった。バイオリンを元の位置に戻しながらふと、これからもこのたった一人の聴衆のために拙い演奏を披露することがあるのだろうか、そのたびに加納は自分こそが合田にとって唯一の聴き手であることに歓喜するのだろうか、と考えてみた。だが、いちいち感極まって肩を抱かれるのは勘弁願いたい。今夜は、傷を負った義弟がささやかな日常を取り戻していることに安堵しての悦びが溢れただけだと信じて見逃したが。
 一度加納は六畳間に入ってきたが、勝手に箪笥から適当な着替えをつかむとまたすぐ出て行き、風呂場へ姿を消した。ぽつねんと畳の上に座り込んで、合田はなおも考え込んでいた。
 刑事として許されぬ一目惚れの恋に狂った夏、事件も終わってなお悩み深い合田に、入院中の女を見舞えと鼓舞したのは他ならぬ加納だった。いつも自分より遥か上手から泰然と構えているあいつはあの頃どんな思いであの手紙を寄越したのだろうか。いつもの涼やかな表情の内側で、誰にも知りえぬ激情を燃え盛らせていたのか。それとも何らかの諦めの境地を見たか。
 この冬、義弟が男と道連れに生を終えようとさえしたときは、さすがに涼しい仮面をかなぐり捨て、激情を迸らせて泣いたか。俺を放っていくなとすがったか。
 思えば、あの赤い目、怒りの表情、眠りを切り裂いた言葉、そういったものから合田は「ああ、こいつは俺に惚れてたのか」と感じたのだが、当然、かつては義兄弟でもあった長年の友人としての好意と捉えてもなんら不思議はないものたちでもあった。もし友人としての好意なら、自分の決意は路頭に迷う。単なる好意を愛情と錯覚する俺の方こそ惚れていたというなら愕然とするほかない。
 退院まで一度も病室を見舞わなかったただ一点が、いつもの加納と自分の距離から考えると異常な一点でもあった。せっせと仕事の合間を縫って洗濯をし、着替えと郵便物を運び、軽い世間話のひとつも交わして病室に清潔な空気を残していく、それが加納らしさではないか。退院してきたその日、しっかり部屋の掃除が行き届いていたように、義弟の世話を焼くことこそあの男らしい接し方のひとつではなかったか。強いて言うなれば、泣き腫らした目を合田に焼き付けてのち一度も見舞わなかったこの異常こそが、合田に「やっぱりあいつは惚れている」と確信させるに至ったといえよう。
 だが。ふと合田は考えてみる。手紙を投函したのが22日。翌23日は祝日で郵便配達がないから、おそらく加納は今夜になって手紙を読んだはずだ。
 スーツ姿からして、一旦帰宅してそのまま、大急ぎでこちらへ来た、そういうことにほかならない。
 あいつも怒りをぶちまけて以降、どう再会したものかと悩んだに違いないが、今夜の約束を今夜知って大慌てで駆けつけた、その想像が合田の胸を狂おしいまでに弾ませた。
 風呂を終えた加納を目の端で見届けて合田も湯を使った。束の間公園へ出ただけでも体は芯まで冷えており、肌に添う満ちた湯はこの上なく滑らかな抱擁だった。
 ざっと短い髪を拭きあげてキッチンへ入ると、煮えたぎる土鍋がテーブルのど真ん中に居座っていた。クリスマスらしくはないが、大の男二人でつつくには最高の食事、湯気の立つ鍋が一瞬合田の神経を戸惑わせた。
「ちょうどいい頃合だ」
 加納はなんとも無邪気な笑顔を弾けさせて合田を迎えた。
 こいつも結局は仕事に疲弊し、組織や人間に疲弊し、毎日に倦み、その実ひとりの男に焦がれてこんな鍋ひとつ囲んで寛ぐ夜を想像してはその楽しみを糧に日々を生きているのだろうか。そんなことを思うと一瞬、切なさに合田は胸が苦しくなるのだった。
「うまそうや」
 合田は笑顔を綻ばせながら席に着いた。火が通り、程よく脂がにじみ出ている鶏肉。青々とした葱、水菜、対照的に透明な白菜、艶やかな白を輝かせる豆腐。ぬるりと光沢を示して食われる瞬間を待つのみのキノコたち。肉とともに放り込んだらしい鱈はすでに鍋の中で身がほぐれつつある。
 合田の取り皿に加納は次々と具を放り込んでは「火傷しないように食えよ」などと言う。
「お前こそもっと食え」
 箸の進まぬ様子を気遣って合田がそう言うと、加納はまたも涼しげな微笑でもって「胸がいっぱいだ」などとのたまう。
 義弟の生還がさほど嬉しいか?
 それとも長年片恋を寄せてきた相手が自分を受け入れつつある様に涙が溢れそうか?
 いや、そんな野暮な問いは今ここでまったく不要だろう。答えは加納のみぞ知る、深いところにあるのだろうから。複雑なのか単純なのか、それすらもはや合田の想像の範疇を超えているに違いないのだから。
 合田が二杯のビールを空けてのちウイスキーに切り替えながら「鍋とは合わへん」などとひとりごちるのに、優しい笑みで「医者から酒は止められていないのか。もうすっかり普通の生活ができるのか」と至極当然なことを問いかける加納であった。まめに合田の世話を焼いてきた以前の加納ならば、退院後の注意点について病院で聞いてきたはずだ。それをしていないということは、入院中の一切を日常から切り離し、自分と関わりを絶つことで平静を保ってきたのだろうか、などと合田はちょっと考えたが、怒りと悲しみと様々な感情の混乱の中にいたであろう加納を思えば、もはやほじくり返すべき過去でないことは明らかだった。
「風呂は気いつけろて言われた。酒は特別何も」
 そう応えながら合田はくいとグラスを呷った。酒を飲まずにこの隠微な空気をやりきれるものか、と密かに加納を罵りながら。
 鍋がほぼ空になると加納はうどんを放り込んで煮込みうどんをこしらえ、大阪出の合田に何やら懐かしいような、振り返りたくないような、やはり嬉しいような、そんな思いを喚起させた。当の加納もウイスキーを啜っており、鍋にはやはり日本酒なんだろうな、などと程よく中年に差し掛かりつつある男らしいひとことを漏らしたりもした。
「腹が一杯で傷が裂けそうや」
 と言ったのはごく軽い冗談のつもりだったが、合田の意に反して加納は一瞬眉をひそめて合田に見入り、翳のある奥行きを目にたたえながら「そんな冗談は好まない」と言い捨てた。
「軽口を叩けるくらい元気になったと思えばええ」と合田はあしらった。しかしそれも嘘ではなかった。事実今の自分は、半田にラブレターを夜毎書いていた日々も、ようやく逢瀬かなった瞬間刺された夜も、すべてが夢のようで、ただ怒りにまかせて「俺を置いて死ぬ気だったのか」と言い置いた加納の目だけが切実に胸に迫ってくるのだった。あのとき、俺の世界は変わった。きっと俺は生まれ変わった。無気力な毎日から這い上がる強さを、手にしたのだ。
「ベッドで休んでいろ」と言われるがまま、合田は六畳間のベッドに転がりながら、後片付けをしている加納の発する几帳面そうな物音に耳をそばだてていた。
 俺は、貴代子にどんな言葉でプロポーズしたっけ、と考えるのだが一向思い出せない。第一、初めて関係を持ったこの加納――貴代子と瓜二つの双子の兄――のベッドですら、一切甘い言葉をかけてやれず、肉欲の赴くままだった自分だ、おそらくろくな言葉を紡げず、勢いで結婚したのだろう。片や新米警察官、片や学生という身分のくせに。今もまた、言葉などいらない瞬間なのだ。ただし、盲目的な情熱に支配されていたあの頃の貴代子と自分とは違い、加納には十数年の鬱積があり、自分には出口のない彷徨があり、それらを経た互いの間には今まさに静かに燃えあがらんとする情念の炎があった。
 今までのとおり合鍵で合田の懐へ入り込んできた加納、バイオリンを聴かせろとせがみ、そんなわがままが自分にだけは叶うのだと信じている加納、それを許している自分の間に、なんの言葉が要ろうか。加納は早くから自分の思いに気付いて森をさまよい、今、俺もまたともにその森を歩もうとしているだけなのだ。先にあいつが茂みの中に道を作り、俺は追いかけ、また加納が導き。
 いい、そんなことは構わへん。どっちが先に惚れたとか、どっちの方がより多く愛してるとか、そんなものは幼い男女の間で交わしておればいい。俺たちには俺たちの形がある。友人として、義兄弟として関係を続けてきた俺たちにしか築けない様々な感情を包括した何かが。
 ふっと視界がかげり、加納が自分の顔を覗き込んでいるのを認めた合田は「片付いたか」と横柄に言って身を起こした。加納はベッドの脇にあぐらを組んで落ち着いた。その穏やかな佇まいは、禅家のように他を寄せ付けぬ静けさに覆われていた。
「考えごとしてた」と合田が言えば、加納はさっぱりと笑って「どうせくだらんことだろう」と決めつけた。
 どこからそんな余裕が湧くねん、畜生!
 合田は声もなく加納に枕を投げつけ、加納は驚きもせずそれを受け止めた。
「暴れるな。傷が開くぞ」と枕を返されて、合田はスウェットの上から腹をなでた。一生消えない傷痕。きっと一生加納を悩ませ続けるある種の恋の結末。
「おい検事様、半田は精神でひっかかる可能性大か」
 合田が訊ねると、加納は間を置かず「刑事の勘がそうだと言うならそうだろう」と応えた。
「俺はキチガイを必死の形相で追いかけてたんか、救いがないな」と合田は笑い、加納も仕方のない奴だとばかりため息のオマケをつけながら軽やかに笑った。
「傷、見るか?」
 加納は瞬間、ちらりと光をたたえた力強い眼差しを見せ、こっくりとうなずいた。
 合田はスウェットの上着をめくりながら「絶対触るな、まだあかん」と断りを入れた。まだ駄目だというのが、傷としてまだ駄目なのか、男を受け入れる決心がつかないという意味なのか、合田自身にもわからなかった。
 縫合の跡はおよそ十八センチに及び、綺麗に閉じられて不自然な盛り上がりも歪みもないものの、やはり生々しく加納の目に飛び込んだはずだった。ちょっと引っ張れば破れそうな肉の綴じ目、男の渾身の力でナイフを突き刺された腹の切り口。果物ナイフによる損傷にしては大きい。それだけ、執拗に追い詰めてきた合田への愛憎も大きかったということか。渾身の一刺しの後なお、力をナイフにこめて体を下げていけば切り口は広がる。その間、合田が口にした言葉が唯一「ゆうすけ」だったことを「ゆうすけ」が知ることは永遠にない。
「俺、いっぱい血を流したらしいな。一緒に、いろんなもん捨てた。たぶん、俺は生まれ変わった。そうでないと、救われへん哀れな奴が、一人、おる」
 呟きながら合田は照れくさそうに微笑んで加納を見つめた。そのはにかんだ笑みがどんな言葉よりも雄弁に合田の気持ちを表していた。
「救われない奴、か。そうでもないぞ」
 いたずらっぽく笑って、加納はふいに顔を腹に近づけ、一瞬のうちに軽く傷痕に口付けた。
「触るな言うたやろうが!」
 驚きと恥ずかしさに爆発した合田が怒鳴れば、振ってきた拳を避けながらも加納はますますしてやったりの満足な笑み。
 貴代子、お前に見えるか、兄貴のこの会心の笑みが。愉悦の笑みが。
 お前はもう知っているか、肉体でなく魂で結ばれる一対の人間の有様というものを。俺が示してやれなかったものを。俺は今、見えつつあるぞ――。

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無垢(1)

 退院から丸2日が経ってようやく無事に帰宅した実感を覚えながら、合田はベッドに寝転んで天井を睨みつけていた。くっきりと木目一筋まで数えられそうなくせに、時折全体がぼやける中から節を目玉とする怪物が歪んだ風船のように膨らんで目前に迫り来て背がぞわりとするときもある。そんな時間をすごしながら考えていたのは今後の身の置き場についてだった。職場復帰は年明けを予定しているが、そこではどんな人事が待っていることやらまだ知らされていない。もはや七係への復職は絶望的だろうとしか予測が立たない。もちろん、一旦は戻る大森署にもいまさら腰を落ち着ける席などない。
 なにせ、社会的関心を莫大に買ったLJ事件に妄執のあまり、犯人一味で現職刑事である男に独断で近づいて刺されたのだから、上もさぞかしはらわた煮えくり返っていよう。「とんでもないことをしてくれた」と。
 刺した半田は間違いなく進んでLJ関与の供述をしているはずだが、どうやらイカレた奴がイカレた犯行に突如及んだもの、とLJとの関連は一切無視を決め込んでいる捜査本部。標的になった合田がなぜそこにいたのか、それも関心は買うものの、表面上は嘘くさいいたわりの目と言葉で満ちていた。
 一度だけ病室に見舞いに来た一課長は「何も案じるな」とだけ言うと、座る時間も惜しいとばかりそそくさと立ち去ってしまった。一体この組織のどこを、誰を信じ、安心しろというのか。犯人をそそのかし、挙句生死をさまよう深手を負った俺の居場所などどこに求めよというのか。合田にとって、もう一つの懸案とともに離れぬ自問であった。
 数か月ぶりの自宅のベッドは、シーツもまっさらに変えてあり換気もしてあったようで空気もさっぱりと居心地がよかった。
 死ぬ覚悟で始末していた部屋で、あの男は立ちすくんだろう。それでも気丈にこうやって部屋を改めてくれていたことに合田は苦しくなる。
 あいつ、ついに見舞いには一度も来んかったな。あんな泣き顔だけ見せ付けておいて。退院の日取りはどこかから聞き及んだのか、それとも病室へ来なかっただけで主治医や看護師から経過は聞いていたのか。とにかく部屋は主を迎えるために最上に整えられていた。

 合田は目が覚めると、あいつから何か言ってくるかと日がな電話を気にして過ごしたが、徒労だった。リハビリのために腹筋でもと思ったらたったの一回で断念した。傷口が裂けたかと思うほどの痛みに、思わずセーターをまくって腹を見た。もちろん、縫合の跡はきれいそのものだった。
 ちくしょう、俺は何をやってるんだ。
 合田はたまらなく苛苛が募った。
 一方で、ふふんと鼻で笑う自分がいた。あいつの声が聞こえなくて、顔が見えなくて、そんなに寂しいのか。どこまでも自嘲的な暗い笑みだった。
 電話ひとつ鳴らない。玄関のチャイムも鳴らない。
 まだ仕事中だろう、仕方ないだろうと思う一方で、電話の一本くらいせめて、と考えて、挙句、わざと連絡を寄越さないのではなどと考え始めると止まらなかった。忙殺されるほどの仕事なら許そう。何か思うところあって俺を避けるようなことは、絶対に許さん。あんたにはそんな卑小な逃避は似合わん。俺のほうから追いかけてやるまでだ。合田はとにかくひとつ、自分の感情に約束をしてなだめた。
 日がほとんど落ちた頃、気分転換がてら自転車に乗ってみたら、存外体のどこも痛くなく、平気だった。たった一回の腹筋がこたえたのは気のせいだったのかと思うほど足は軽快にペダルを踏み続けた。教会へ行こうかとも考えたが、きっと子どもたちも集まっているであろう楽しい空気を壊してしまうだけだと思いとどまり、クリスマス一色の浮ついた街をぶらぶらし、一駅隣までたどり着いたところでUターンした。今夜はバイオリン三昧だ、クリスマスの夜を俺がちょっと味付けしてやろうじゃないか。そんな自虐性すらその頃には生まれていた。
 自転車とともにエレベーターに乗り込み、やや乱暴に部屋の脇の共有スペースに自転車を停めると当然のごとく人気などない、誰も待たぬ部屋に戻った。いやに寒々としているのは冬の気候のせいか、それとも一人が詫びしいがゆえか。後者なら涙も出ぬほどあてどない感情の始末にどうしようもなく落胆するほかない。
 入院中に届いた郵便物は退院前に分別しておいて必要なものは昨夜のうちにすべて目を通したのだが、DMとして選り分けていた女名の封書を、合田は改めて手にした。昨日は、開けるまでもない、どこぞで住所と名前を手に入れたいかがわしい手紙、例えば、新店オープンを告げるキャバ嬢のピンクの便箋でも大方のところだろうと気にも留めなかったのだが、今日なにげなく隣の駅まで自転車で出てみてふとよぎったことがあった。そうだ、俺は数か月前、ひとりの男にまるで惚れこんだように毎夜毎夜、時間を割き神経を尖らせ、手紙を書いていた。私生活を監視するために奴のアパートにも何度出向いたか。俺の身体はこの道を嫌と言うほど知っている――。あいつの女房、俺を刺して後離婚が成立したらしいが、彼女の名は何といったか。
 手紙を開封する気になったのは、改めて「この部屋の主を知る女はいない、まして手紙を送りつける酔狂な奴など」という結論に至ったのと、ではこの差出人はどうして正確に自分の名と住所を知りえたか、つまり誰なのかということに推測をつけたからだ。
 警察の守秘義務など、女の感情、それも夫が切りつけた現職刑事への義理と申し訳なさ、一方でやはり現職刑事たる夫の未来、同時に自分の未来を瞬時に奪っていったことへのとてつもない憎悪、それらに凝り固まった者の前にはもろかったというのか。もはや、誰が合田の住所を漏らしたかなど問題ではなかった。
 合田は白いそっけない封書、なぜこれをキャバ嬢からのDMと疑わなかった自分がいるのかと馬鹿馬鹿しくなるほど簡素で真っ白なそれを、開封した。おそらく加納の耳に届いているであろう、毎日自分が送り続けたラブレターの一件。義弟が道ならぬ恋に身を焦がしていたことにもだえ、憤怒し嫉妬も覚えたか、などとまるきり手紙からかけ離れた方向へ思い馳せながら。
「前略。
 このたび、修平の不始末のために怪我をされ、休職されている由、聞き及んで胸苦しく思う次第でございます。ただひたすら、夫の神経の変化に気付かずにいた己の愚かさに恥じ入るばかりです。私に今回の事態が防ぎえたか。その疑問については否とお答えするほかなく、まして正式に離婚した今となってはますます謝罪も償いも遠きものとなりましたことを、知らせる次第でございます。ご回復と無事の復職を願ってやみません」
 夫の不始末を詫びるでなし、自分はまったく無関係だと切って割り責任を回避する一文が短く記されているのみだった。もちろん合田が、半田の妻からの謝罪など求めるはずはなく、この手紙はまったく無用に女の身勝手をさらしているだけだった。
 身勝手。夫の前代未聞の事件とともに離婚し、去った女も身勝手なら、捜査から逸脱し刺傷沙汰を引き起こした自分もまた、身勝手の化身。思いがけず好意を認識した相手が姿を見せぬことにひとり焦燥を覚え、狼狽と苛立ちに身を震わせる己もまた。
 合田はキッチンに立つとコンロの火を点け、手紙を燃やした。はらはらと黒い灰になって軽く空中に舞い散るそれを眺め、今の俺もまた、この手紙と同じく行き場がなく、灰と同じく身軽なのだ、と思った。
 六畳間からバイオリンを持ち出し、公園に出ようと上着を羽織ったときだった。
 控えめにノックの音があり、おやと思うとすぐにそのノックの主は返事も待たずノブに手をかけたらしく、鍵がかかっているはずのノブはがちゃりと回り、ドアが開いた。
 合田が外出姿でバイオリン片手なのを認めると、合鍵を手にした男は悠然と笑みを浮かべ、「この寒空にバイオリン。クリスマスの彩りと捉えてみるも一興。俺もお供していいか」と言った。
「今まで仕事やったんか」
 合田が男を凝視して言うと、彼はなんとも透明感のある微笑でもって「公務員にクリスマスイブの休暇など洒落たものがあるか」と爽快に笑い飛ばした。
「あんたに聴かせる音楽などない」
 そう言って合田がバイオリンを小脇に隠すように抱え込むと、やはりゆったりと笑いながら男は「それはなぜ。ぜひとも拝聴したいものだが。なんとかご機嫌は直らないかね」と長閑に言う。
 それが、2 か月前俺のベッドサイドで目を真っ赤に泣き腫らして告白した男の言うセリフか!その後一向に姿を見せず、ただただ俺を戸惑わせ、思考させ、一定の答えまで導いた透明人間のセリフか!
 合田には無性に腹立たしい加納のどこまでも澄んだ微笑。だが決してお高く留まっていない人懐こさをたたえた、自分にだけ向けられる親愛の微笑。
「あんたは耳が肥えてる。やれ音をはずしたの、やれ拍子がずれたの、うるさい」
 合田がちっと舌打ちして加納の微笑から目を逸らしながらそう断ると、加納は懲りずに「どうして俺が難癖をつけると決め付ける、わからんな」ととぼけてみせた。
「子どもの頃から本物のクラシックになじんで育ったお坊ちゃまには耳障りでしかない」
 合田はそう応えながら、これではまるで子どもの喧嘩だ、何もかも見透かしている大人相手に必死で取りつくろうガキそのものだ、とますます腹立たしい。おそらく加納はもう、自分の出した結論を見抜いているのだろう。男の愛情を受け止める決心こそようやくついたものの、自分が愛していけるかどうかは覚束ないあやふやさまで。この部屋を訪れる道すがら、ノックする瞬間、鍵を差し込む間際、貴様に迷いはなかったのかと合田は胸の内で問うた。
「そこの公園だろう。幸い俺もまだこの通りの格好だ」
 鷹揚に両腕を広げてコートにマフラーという自分の出で立ちを見せ付ける加納にため息がでた。
 公園への道を歩きながら「やめてくれ言うてもやめへんぞ」と合田が悪あがきを見せても、加納はくすりとおかしそうに笑って「きっとお前の奏でる旋律は最高だ。俺にとっては。それでいい」と澄ましていた。
 合田は道々音符を頭に大量に浮かべ、整理し、ひとつの曲を組み立てた。何しろ子どもの頃から親しんでいるから曲は身に浸み込んでいるのだが、ちゃんと弾いたことがない、ましてたったひとりといえど聴衆がいる前で。
「笑いたければ笑え。だが貴様が言い出した以上、途中退場は認めん」
 加納の肩をぐっと押し込んでベンチに座らせると、合田はケースから取り出したバイオリンを軽く音鳴らししてから目を閉じ、一度すうと深く息を吸い込んで迷いを断ち切ると『諸人来たりて』を披露しはじめた。
 公園などという公共の場で、夜にバイオリンを弾けば通行人の目は引く。怪訝な視線を投げる者、雑音とばかり耳を塞ぐように早足になる者、ふと足を止めていっとき耳を傾けてゆく者。そんな好奇や不快の眼差しは慣れっこだったが、今夜ははっきりとひとりの聴衆がいて、彼だけのために合田はバイオリンを奏でた。単純ながら神聖な旋律が凍てついた冬の空気の中を舞った。
 どうにか弾き終えると、たまらなくおかしさがこみ上げて合田は腹を抱えて大笑いした。世間が浮かれるクリスマスイブの夜に、よりによって三十半ばの男相手にこんな曲を懸命に弾く自分も、それを熱心に聴き入って何やら恍惚とした表情の男も、要は変態なんだろうと思えた。
 加納はオーケストラの大合奏を聴き終えたかのように立ち上がり、ゆったりと拍手を贈りながら「素晴らしい」と合田の肩を軽く抱き寄せた。そして耳を寄せ「ありがとう」と小さく言った後「元気になって良かった」と声を震わせた。

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マークスの山

■単行本にあって文庫では削除された表現

 ・春に会ったとき「避難場所が欲しい」というから合鍵を渡した、でも顔を合わせないよう気づかっているようだ、という文章が削除。文庫読者にはなぜ加納が合鍵持って留守宅へ侵入してくるかわからない。これじゃただの変質者・・・。

・佐伯殺しの前後、地検に電話した合田に応対する場面と、その後佐伯宅で同僚検事に「俺の義弟だ、よろしく」と紹介する場面はさくっと削除。好きなシーンなんだがなあ・・・。

・山で殴りあい、首をしめあい、雪崩に巻き込まれそうになりながら笑っていた、雪崩の後合田が加納を「愛してる」と感じた「俺たちはなぜ山に登るのか」を合田が考える場面が削除。

・合田留守宅に「冬こそ穂高!」特集の山の雑誌を置いていった描写が削除。(だが文庫では・・・)

・水沢遺体で発見後の電話シーンざっくり削除。「いいとも。ゆっくりゆっくり登ろう」てな加納は非常事態なのにおっとりしていてすごく素敵なのに。

■単行本になくて文庫で追加された表現

・松井殺しの際、被害者が検事ときいて合田が加納を思い浮かべる。(こういう一文をしれっと追加するから高村さんの文庫化は怖いw)

・東京駅キヨスクでランデブー。

・古い調書をコンビニからファクスしてまで合田を応援。そして合田は「会いたい、信頼に足る意見を聞きたい」と恋しがる。留守電にメッセージまで残すいじらしさ。(やはり恐るべし、文庫化での加筆!)

・甲府行きの直前、合田宅でご対面。合田のために風呂を用意してやる。スコッチも持参しているらしい。(侮りがたし、文庫化!ということで。)

■ちょこっと変更

・返事を書かせる威力のある手紙(単行本)だったのが、読まずに捨てられかねない手紙(文庫本)になっている。(合田さん、読んであげてくださいよ・・・)

・松井殺しの後の王子署ででくわした場面で、単行本では合田が「おい」と呼びかけているが、文庫では目を合わせて笑っただけ。

・映画館での会話は若干変更。

・根来と合田の接触場面で、単行本では根来は一切加納の話をせず、合田が加納の心配を察しただけだったのが、文庫では思い切り加納の話をしている。

・合田の離婚後、単行本では単に「地方を巡った」だけだった加納が、文庫では具体的に「大阪から福井へ飛ばされ」と記されている。

・高校・大学時代の友人、から大学の友人となっている。しかし文庫上p.217では「ゼミで知り合った」とあり、同じ上p.339では「図書館で知り合った」とある。どっちなんだ・・・。

~以下、個人的な感想及び突っ込みです~

全体に、文庫より単行本の方が好きです。これは高村作品のほぼすべてに言えます。単行本の方が勢いがあるのがいいです。文庫は、分かりやすく噛み砕いてくれるのはありがたい反面、薄っぺらくなってしまう印象なのです。

例えば、根来と合田が接触する場面で、根来が加納を「虫も殺さぬような端正な顔をして、六法全書が服を着て歩いているようなあの細密主義はなかなか潔い」と表現していて、こういう描写は加納ファンとしては嬉しいんですが、ここの根来は加納の"か"も出さず、合田が加納の心配を察する方がすっきりしているし、合田の勘の良さも際立つと思います。
映画館での会話も、単行本の方がすっきりしている上、読者に「ん?ちょっと待て、理解が及ばない」と考えさせる力があるように思います。文庫での会話は非常に平べったくわかりやすくなった分、会話としての分量は多いのですが、印象が薄くなりました。
また、加納がキヨスクでわざわざ待っていて名簿を渡したり、挙句捜査本部に匿名でファクスまでして、合田を陰で助ける人というより安っぽいタレコミ屋に成り下がっているようで残念です。

あと、どうでもいいんですが、高村さんは連載→単行本→文庫となるたびちょこちょこ改稿されることは有名ですが、わかりやすい削除や加筆はともかく、白骨復顔写真にふれた手紙で

「当時は関係各警察への連絡も、本格的な捜索も行われなかった」(p.66)

「当時は関係各警察への連絡も本格的な捜索も行われなかった」(上p.106)

「、」読点をいっこだけ省略する意図はなんなんですかーーー!!??字数調整でもなさそうだし。なんのこだわりなんだ(笑)。

最後に。

マークスの山、単行本では最後の
「いいとも。ゆっくりゆっくり登って、日本一の富士を眺めようか……」が大好きです。
文庫では、キオスクでのランデブー場面でお早うを交わした後の
「可笑しいな。なんでこんなふうなんだろう」がダントツ好きです。

加納のゆったり鷹揚に構えた雰囲気が大好きなのです。

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マークスの山(文庫)

『拝啓 虚礼だとは思わぬが、怠惰につき賀状を失礼させていただいた』『先日、頭蓋骨から復顔された顔写真なるものを見る機会があった』『……あれは実に醜悪だった。そもそも土に還った肉体の復元などというものは、モンタージュ写真とは完全に別種のものだと思う。あの生々しい凹凸のある粘土の顔を前にしたら、誰しもおのれの知力に危機感を覚えるだろう。目前で形になっているばかりに、あの似て非なる別物が、あたかも本物のように思えてくるのは、これこそ人知の限界というやつだ。
 しかし、巷にはもっと醜悪な話がある。小生があるところから聞き及んだところでは、あの青年が行方不明になった直後に、こちらの公安当局は青年が南アルプス方面に出かけたことを掴んでいたということだ。それについて、当時は関係各警察への連絡も本格的な捜索も行われなかった。これは明らかに人知の限界内の話だ。事情の如何にかかわらず、このようなことはあってはならない。
 ともかく、かような話を耳にするにつけ、小生の若白髪はまた数本増えたような気がするが、君の方はいかがお過ごしか……』(上p.105~106)

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《雄一郎殿
 小生のアイロンが火をふいたので、君のを借りに来た。官舎では、こういう生活道具の貸し借りはしたくないのだ。ついでに黒ネクタイも一本拝借した。
 お察しのことと思うが、今夜は故松井某の通夜、明日は本葬があるため、小生は一日青山斎場に詰めている。故人の関係省庁だけで二百人程度の会葬者が予定されている。小生は場内整理係だ。
 昨夜、王子署に出向いたので、事件について多少の話は聞き及んでいる。小生で役に立つことがあれば言ってくれ。なお、蛇足ながら一昨日久しぶりに貴代子から電話があった。ボストンの水が合っているそうだ。君も元気だと伝えておいた。 加納祐介》
《そうそう……》《山梨の友人から入手したニュースを一つ。三年前に白骨死体の復顔写真が手配された事件で、有罪が確定して服役中の老人が、地裁に再審請求を出してきたそうだ。刑訴法第四三五条の六号による請求だと聞くが、新規に反証となる証拠が出てきたのかどうか。検察の立場から言うとはなはだ不快だが、公判記録を閲覧した限りでは、証拠や自白の整合性に問題があったと言わざるをえない事件であったので、成り行きを注目している》(上p.237~238)

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「ああ、来たか……」
「財布は……」「無事だ」
「ここも変わったな」
「ネクタイ、助かった。クリーニングして返すよ」
「知らない人の葬式は悲しくならないのが困る」
「弔辞では型通りのことしか言わないからな……。しかし、真面目一方の人物だったというのは多分事実だろう。刑事局の内部でも、とくに問題があったという話は聞かない」
「結論を急ぐな。王子の事件については、法務省も検察もあくまで、一現役検事を被害者とする事案という認識だし、それ以上でも以下でもない。にもかかわらず今日の葬儀はなぜ、あんなふうになったか。分かるか」
「分からなくていい。常識では考えられない口出しをしている者が、法務省の上の方、ないしは永田町周辺にいるということだからな。その結果、我々検察ははなはだ不本意ながら、組織として常識では考えられない過剰反応をして、わざわざ君らの耳目を集めるというバカをやったというわけだ」
「それは分からん」
「ともかく《上の方》の横やりが、あまり世間に騒がれたくないという程度の動機だとしたら、一番ありそうなのはご大層な縁戚関係か閨閥。もしくはその式次第にある、法曹界や大学OBのネットワークとか……」
「ただし、同窓会はまずい。そこは日弁連会長や霞ヶ関の住人がいろいろ揃っている。当たるんなら、山岳会のほうが安全だと思うが、そこも事前に勤め先を調べてからにしろ」
「昔の話だろう。お前だって今はなんだ、この手は……」
「雄一郎。今年の夏は、山には行かなかったのか」
「あ、大阪の言葉……久しぶりに聞いたな」
「雄一郎の大阪言葉、いいぞ。もっと使え」
「本、読んでるか」
「なあ、正月に穂高へ行かないか。二人で……」
「北鎌尾根から槍ヶ岳。前穂北尾根でもいい」
「俺は三月に登った。雪が固くしまっていて雪崩もなかった。よかったぞ」
「十二月の土日に、南アルプスで足馴らしをしよう。正月休み、必ず取れよ」
「ところで会葬者の記帳簿だが、警察は最低限遺族と交渉する権利はある。遺族は、あちこちからマスコミに騒がれないよう釘を刺されていると思うが、本心は複雑なはずだ。俺なら何とかして当たってみるが」
「気をつけろ。深追いはするな」
「心配するな」(上p.251~256)

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『高島平の一報を聞いて取り急ぎ駆けつけた。
 君にはまず小生の不注意を詫びなければならない。九日の時点で小生は、例の山岳会について松井某の一般的な鑑の範囲と考えていたが、高島平の一軒を知り、そうとは限らないことに気づかされた。部内で聞こえてくる話の範囲では、被害者となった捜査員は十二日午後八時過ぎ、地検が別件で内偵中のS宅を訪ねているが、ほかにも正午に暁成大学事務局を訪問していた由。面会した相手・用件等は不明ながら、同山岳会OBには同大学理事長Kが含まれる。蛇足とは思うが、Kの妻は宮家出身。同日午後二時には同事務局から桜田門に苦情の一報が入ったというから、この件は要注意と思う。
 なお、小生が平成元年に京都で入手した昭和六十三年版蛍雪山岳会会員名簿がある。十三日午前七時、東京駅十二番線キヨスクの前で待つ』(上p.362~363)

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「お早う」
「可笑しいな。なんでこんなふうなんだろう」
「俺も、蛍雪山岳会の名簿がこんなところで日の目を見るとは思わなかった。平成二年の年明けに君に手紙を書いただろう?前の年の夏に北岳で発見された白骨死体の身元が割れて、それが暁成大学の出身者だった。野村某という名前だったと思うが……」
「野村を殺したという男が出てきたのが平成元年夏。殺害が昭和五十一年ごろ。しかしその時点で、野村に関する遭難や事故死の届けは出ていなかった。野村が仮に単独行だったとすれば、北岳にひとりで登る初心者はいないから、どこかの山岳会に入っていた可能性がある。それで、いくつか山岳会を当たったときに暁成大学の山岳会の名簿も入手した。当時、野村には鑑がなくて、生前の足取りが掴めたなかったものだから、とりあえず山の仲間を探したんだ。結局、一人も見つからなかったが」
「いろいろ耳に入ってきたからだ。野村という男の身辺がきれいとは言いがたかったのが一つ。実は単独行ではなかったという話もあったのが一つ……」
「だから調べたんだ」
「平成元年に甲府地検が被疑者を起訴したとき、野村に関する昭和五十年前後の京都府警の調書一式が行方不明になっていた。野村はそのころ京都で左翼団体の活動をしていて、公正証書原本不実記載とか私文書偽造とかで逮捕歴がある。そのときの調書が消えたんだ。たぶん、そこには野村の鑑がいろいろ書かれていたはずだから、もしその調書があったら、事件は岩田とかいう被疑者を起訴して終わり、というふうにはならなかったかもな」
「ともかく、北岳の事件と今回の君らの事件は関係ないと思うが、圧力のかかり方が何となく平成元年のときと似ている感じがする」「本来問題があるはずのない資料がなかなか出てこないこととか、大学事務局を刑事が訪ねただけで過剰な反応があることとか……」
「そうかも知れない。高島平の事件を聞いてちょっと感情的になったんだろう」
「一応、梳かしてきたんだけどな」
「少し時間をおいた方がいい。その調書もどこかが押さえているかも知れないから」
「《S》と《K》には印をつけておいたから、へたに嗅ぎ回るな」
(合田の回想)「何となく似ている」(下p.11~15)

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「今日は官舎の秋祭りでな。うるさくていられないから来たよ」
「この間、君の留守番電話を聞いた」
「時間があるんなら、一風呂浴びるか?すぐに沸かそう」
(「こんな話がある」)
「山とはなんだろうな……」
「へえ。登山の約束、覚えてたか」
「無理だけはするな」(下p.329~332)

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マークスの山(文庫・下)

 ラッシュアワーにはまだ少し早い午前七時、東京駅の山手線ホームにはめっきり低くなった秋の日差しがあった。開店したばかりのキヨスクの脇に、加納祐介は片手に書類カバン、片手に朝刊というサラリーマン然とした恰好で立っており、スニーカーのゴム底の足が隣に近づくと、朝刊から上げた目をまたすぐ紙面に落として「お早う」と言った。
「お早う」と合田も言った。
「可笑しいな。なんでこんなふうなんだろう」加納は言い、それはこっちの台詞だと思いながら、合田も「ああ」とだけ応えた。共にろくに寝ておらず、食っておらず、あれこれの公私の懸案を避けがたく一緒にして思い巡らし続けた末に、こうして公共の場で面を突き合せて出てくる第一声が「お早う」とは。そして、それに続くのは当面の仕事の話なのだが、思えばこの男とは、昔から山ほど抽象的な議論はしたのに、日常会話はおおむね貧しくぎこちなかったのだった。それを貴代子はいつも嗤い、無口の男二人揃ったら、黙って山でも歩くしかないわねと、最後の日々は刺すように冷ややかだった。
「俺も、蛍雪山岳会の名簿がこんなところで日の目を見るとは思わなかった。平成二年の年明けに君に手紙を書いただろう?前の年の夏に北岳で発見された白骨死体の身元が割れて、それが暁成大学の出身者だった。野村某という名前だったと思うが……」
 加納は朝刊に目を落としたまま言い、合田もまたあらぬ方を向いたまま耳を尖らせ、寝そびれて冴え冴えと痛むこめかみに、その一言一句を刻み込んだ。
「わざわざ名簿を入手した理由は」
「野村を殺したという男が出てきたのが平成元年夏。(中略。セリフ集を参照してください)」
「あんたの担当事件だったわけじゃないのに」
「いろいろ耳に入ってきたからだ。野村という男の身辺がきれいとは言いがたかったのが一つ。実は単独行ではなかったという話もあったのが一つ」
「そんなバカな話。単独行でなかったら、一緒にいた仲間は死体遺棄やないか」
「だから調べたんだ」
「不正な事件処理があったとか言ってたが」
「平成元年に甲府地検が被疑者を起訴したとき(中略。セリフ集を参照してください)」
(中略)
「ともかく、北岳の事件と今回の君らの事件は関係ないと思うが、圧力のかかり方が何となく平成元年のときと似ている感じがする」と加納は言った。「本来問題があるはずのない資料がなかなか出てこないこととか、大学事務局を刑事が訪ねただけで過剰な反応があることとか……」
「きっと考えすぎや」
「そうかも知れない。高島平の事件を聞いてちょっと感情的になったんだろう」
「そうか。それで髪、立ってるんか」
 合田はかろうじて笑ってかわし、加納は二秒遅れてやっと、やられたというふうに悠長な照れ笑いを漏らした。「一応、梳かしてきたんだけどな」と。
「特捜部には今、大事な仕事があるんやろ?東邦の根来という記者に聞いた。もういい、その話は忘れよう。俺も北岳の事件はもう一度調べてみる」
「少し時間を置いた方がいい。その調書もどこかが押さえているかも知れないから」
 すでに電車を一本やり過ごしており、二本目が近づいてくる音を聞きながら、加納は手にしていた四つ折りの新聞を合田の手に載せた。間に薄めの冊子がはさんであるのが分かった。
「《S》と《K》には印をつけておいたから、へたに嗅ぎまわるな」
 それだけ言い残して、加納は滑り込んできた電車と入れ違いにホームを立ち去っていった。合田はそのまま電車に乗り込み、動き出した電車の窓から加納の姿がかき消えるまで、手の中の新聞をしばし握りしめていた。(中略)それこを加納が「何となく似ている」と言った、その々ことが代官山の泥棒のときもあったような、なかったような―――――――。
(中略)役職のページにまず一つ、加納の付けた○印があった。
(中略)そして、加納の付けた二つ目の○印は経済学部卒の《佐伯正一》。(p.11~16)

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《(略)うちとしても放っておくわけにいかないので、さっき加納検事に一報を入れました》(p.65)*根来さんです。

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あんたのお知り合いの話じゃないですよ、念のため。*又三郎です。
(中略)佐伯家の手伝いの女が、佐伯から『近々捜査当局の事情聴取があるから』と聞いたというのなら、それは特捜部内で加納らのチームの内偵を潰す力が働き、佐伯を追い詰めるための情報が故意に流されたということだろう。(中略)
「おい、又三郎。俺の知り合いがどうしたって?」
「聞いてたんですか。地検の奴らにあんまり頭に来たもんで」
「いっぺん紹介してやるわ。名前は加納だ。のんびり屋で真っ直ぐな、ええ男やぞ」(p.120)

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そして、それを耳にした加納祐介がいち早く手持ちのネタを流してきた様子を。
(中略)また、そんな言い訳を許すような吾妻や加納でもなかったが、それでも滅多にない同情や援護の手がそれとなく自分に差し伸べられているのを感じると、合田はあらためて忸怩たる気分だった。(p.158~159)

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そんな着地に至る間、合田の腹には今すぐ加納に会いたい、信頼に足る意見を聞きたいという思いが噴出したりしたが、それも無意識に自分で否定した。(p.162)

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「(略)今日、亀有に召集がかかる前に、本部にファックスを送ってきた人物から匿名の電話があってな。その男が、岩田の犯歴を調べろと言うから調べたら、岩田は同じ五十一年にもう一人登山者を殺していた。(略)」(p.179)

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用賀の馬事公苑そばの公務員住宅に住む特捜検事はまだ帰宅しておらず、留守番電話が応答した。(p.189)

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 赤羽台団地三十八号棟に辿り着いたとき、一階郵便受けに溢れているはずの新聞が見当たらず、元義兄がまた寄っていったのかと思いながら五階に上がると、珍しいことに本人が中にいた。セーターにスラックスという普段着で加納祐介は畳みに散らかった本の山を片づけており、台所のテーブルには飲みかけのウィスキーがあった。
「今日は官舎の秋祭りでな。うるさくていられないから来たよ」
 そうか、今日は日曜だったかと思いだしながら、日中に元義兄の姿をこうして見るのはずいぶん久しぶりだと合田はぼんやり考えた。それにしても、日曜日に官舎を抜け出して足を運んでくるのが元義弟のアパートというのは、この男にも家は家でない、生活は生活でない。ともに三十も過ぎて人並みの人生をなお持てないでいることの原因が、自分と貴代子の離婚にあるのはいやというほど知りながら、改善しようとしない怠惰はお互いさま、どうしていいのか分からない困惑もお互いさまなのだった。
「この間、君の留守番電話を聞いた」
「仕事が苦しいと、人の声を聞きたくなるんやろうな。(略)」
 そうと聞けば、加納には状況の厳しさは即座に判断出来たはずだった。ちらりと普段の検事の顔を覗かせ、「時間があるんなら、一風呂浴びるか?すぐに沸かそう」とだけ言って風呂場へ姿を消した。
(中略)風呂場から戻った加納に「これ、あんたも興味あるはずだ。読んでいいよ」と言った。
 加納は入手の経緯は尋ねず、野村久志を北岳に埋めた男の遺書をしばらく見つめ、読み始めた。その間に、合田は押入れに眠っていたザックや防寒具の上下、雨具、アイゼンなどの用意をし、あえて台所の加納には声をかけずに先に風呂に入った。どちらもひときわ上背のある大の男が二人、面を突き合わせるには古い公団住宅はともかく狭すぎ、息苦しすぎるのを久々に感じ、それが今さらながら急に面はゆくなったせいもあった。
 しかし、加納には元から分かっていたはずだ。昭和五十一年十月、木原たち五人が野村久志を連れて北岳に登ったことを京都府警の公安が知っていたのだろうことは、野村が消息を絶った後、野村を監視下に置いていた証拠を含めて警察と検察が一体となって隠蔽を図ったことから明らかだった。おそらく木原郁夫の出自や閨閥と、大学時代の警察との関係の二つの理由から隠蔽が行われたと思われるが、さらにそれは司直各々の内部の権力争いに利用されたのであり、平成元年から二年の初めにかけて京都にいた加納が過去の不正を掘り出したのも、いくらかは検察内部の派閥抗争の末端に巻き込まれたのが始まりに違いなかった。そして、畠山殺しに始まる一連の事件のおおまかな姿を、霞ヶ関や桜田門があらかじめ知っていたとすれば、加納も例外でなかったはずはない。
 しかし一方では、折りにふれて元義弟にそれとなく「こんな話がある」と事件の背景を知らせてきた男の真意は、一貫して真実を求めるものだったはずだと、合田は信じた。現場の刑事の比でない派閥抗争の中に身を置きながら、直接に事件と関わりのない部署で、どうやって故人の良心や社会正義を守るか、自分の職と人生を守るか、加納は加納なりに苦闘してきたのだ、と。それにしても、すでにそれぞれ学生時代とは違う顔をし、違う屋根の下にいながら、こうして今も幸福だった過去の記憶を通して独りの男を見ている自分は、《マークス》の五人とどこが違うのだろうとも思った。
 合田が風呂から上がったとき、加納は台所の上がり框に腰を下ろして元義弟の登山靴を磨いていた。長く履いていなかったので、皮革に少しカビが生えていたやつだった。加納はそれにクリームをすり込みながら、背を向けたまま一言、「山とはなんだろうな……」と呟いた。
「そうだな、なんだろう……」
 合田は同じ言葉を返しながら、ふいに自分の胸をよぎっていくものがあるのにきづいては、何十秒か元義兄の背中を見ていた。(中略)あのとき、たったの一言が出なかった理由はいったい何だったのだと一瞬思い、結局、互いに口に出したら最後というような何かの塊だったことだけ呼び戻した後、合田は元義兄の方を叩いて「おい!」と声をかけていた。
「正月までいつ会えるか分からんから、一杯やろう」
「へえ。登山の約束、覚えてたか」
「忘れれるわけがない」
 午後三時、加納持参のスコッチを軽く一杯ずつ空けた。「無理だけはするな」という可能の言葉に送られて再び部屋を出たとき、合田は理由もなく、自分の心身が少し落ちついたような心地がした。(p.328~332)

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マークスの山(文庫・上)

マークスの山(上) 講談社文庫
マークスの山(上) 講談社文庫
マークスの山(下) 講談社文庫
マークスの山(下) 講談社文庫

 その夜は、四日分の新聞と一緒に封書が一通届いていた。もう何年もの間、近しい身内もいない一刑事に宛てて私信をよこすような奇特な人間は一人しかおらず、差出人の氏名は確かめるまでもなかった。名を加納祐介といい、大学時代からの知己だったが、ある時期その実妹との婚姻で義理の兄になり、その後離婚によってまた他人に戻った人物だった。もっとも、その間の経緯も種々にごじれた感情も、最近はもうどうでもよくなって、年に数回相手が自分に手紙をよこす理由をもはや深く詮索することもない。当人は、ほぼ二年毎に地方転勤を繰り返す検事稼業のせいで、いまは京都におり、先月か先々月には嵯峨豆腐が云々と、浮世離れした長閑な話を書き寄こしたところだった。そうして、今度は何を言ってきたのかと思い、手紙を開きながら、合田は自分が変わったのだろうかと一寸自問していたりしたが、数年前なら開封もせずに捨てていただろうに、最近は内容によっては返事を書こうという気持ちにさえなるのは、自分でも不思議な気分だった。
 その日の元義兄の手紙は、『拝啓 虚礼だとは思わぬが、怠惰につき賀状を失礼させていただいた』という達筆の書出しに続いて、『先日、頭蓋骨から復顔された顔写真なるものを見る機会があった』などと続いていた。
『……あれは実に醜悪だった。(中略。セリフ集を参照してください)』
 新年早々、なんということを書いてよこす奴だと思いつつ、合田は加納の若々しい美貌を思い浮かべた。一人一人が独立した国家機関である検察官の建前が、加納という男の中では名実とも生き続けている。その結果の若白髪だが、あと十数年我慢すれば、それも美しいロマンスグレーになるだろう。同じように私生活は最低だが、貴様の方がまだマシだと思いながら、合田は、四日分まとめて呷ったウィスキーの勢いで、拙い返事を書いた。(p.104~106)

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何ひとつピンと来ない肩書一つの向こうに、ふと疎遠にしている現職検事の加納祐介の顔が浮かんだりした。(p.198)

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 下世話な詮索をめぐらせたのも束の間、又三郎がまたちょっと《ほら》と顎で示した裏口から、刑事とは一見して立ち居振る舞いの違う男たちが三人出てくるのが見えた。その一番後ろの一人は、自分の身一つをもてあますような所在なげな様子で少しうつむき、長身を飄々と夜風にたなびかせており、アッと思ったら、虫の知らせというやつで向こうも気づいたか、合田の方へ目を振り向けるやいなやニッと笑って見せた。それは春の異動で東京地検へ移ってきた加納祐介で、思わぬところで面を合わせた戸惑いを、先ずはそうして一足先に笑い流してしまうところなど、いかにも老獪な元義兄らしかったが、合田のほうがひとまず、あんたまで何しに来たのかと思わず声に出しそうになった。
 すかさず、目敏い又三郎が《ほう、地検に知り合いがいるんですか》といった目をよこす。合田は、身にしみついているはずの公私の峻別の不文律が、一瞬にしろ自分の中から消えていたことに密かにうろたえ、苛立った。足早に背を向けて立ち去っていく加納の恬淡とした後ろ姿は、元義弟の戸惑いなど斟酌もしないといったふうで、毛k冊が警察の庭に踏み込むときは踏み込む理由があるのだと言い放っているようにも感じられた。これはたんに検事と刑事という似て非なる立場から来る確執なのか、それとも学生時代からの個人的な人間関係が捩れに捩れてきた末の感情なのか。合田はちょっと考え、くるりと自分も背を向けて「引き揚げるぞ」と又三郎に目で合図を送った。
(中略)また少し元義兄の顔を呼び戻したりした。水戸の旧家の出身で、おおむね挫折というものに無縁な秀才の男と偶然大学のゼミで知り合い、一時期義理の兄弟にまでなった年月も、今となればほんとうにあったのか、なかったのか。近頃は何もかもがひどく不確かだと感じながら、そういえばそろそろ母親の十三回忌だとふと思いだしては、ホームのベンチで開いた手帳の十一月の日付に印を付けてみたりした。(中略)
遠くから聞こえてくる始発電車の響きを聞きながら、合田はまたちょっと元義兄の顔を慰みに思い浮かべ、続いて二卵性の双子であるその妹の顔を思い浮かべていた。大学を出てすぐに結婚し、五年前に離婚して今はアメリカにいるその妹は、名を貴代子といった。種々の事情で終止符を打つしかなかった結婚生活の記憶には、なおも消えない棘が刺さっていたが、そんなことを久々に思い出すのも、貴代子の実兄である加納祐介にでくわしたせいだ、それ以外に何がある、と思った。(p.215~219)

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この春に東京地検に異動になってから、いつも留守の間にやって来て、ちょっとした資料整理や書き物に使い、そのつど簡単な書き置きと仄かに整髪料の匂いを残していく男が、その夜も寄っていったのだ。五年前に合田が加納貴代子と離婚して以来、気まずさもあって疎遠になった加納との仲だったが、互いにあえて顔を合わさないようにしている今の関係を、部屋に残されていくその香り一つがいつもちょっと裏切っていく。そういう加納も、その本人にこうして合鍵を渡している自分自身も、どちらもが何か必要以上に隠微だと思いながら、合田は書き置きをざっと斜め読みした。

《雄一郎殿
 小生のアイロンが火をふいたので、君のを借りに来た。(中略。セリフ集を参照してください)》

《そうそう……》と、加納は髪の端に小さな字で書き足していた。《山梨の友人から入手したニュースを一つ。(中略。セリフ集を参照してください)》
 合田は、三年前に隅田川沿いの工場で見た老人の顔をちらりと思い浮かべた。代官山周辺でいくつか些細な窃盗事件が重なり、一件で家人が怪我をしたため強盗罪が適用された事案の参考人だったが、別件で老人の事情聴取に来た山梨県警の警部から、後日『殺人を自供した』と聞かされたときは、ちょっと狐につままれたような感じだった記憶があった。そういえばそれと前後して届いた私信で、加納は山梨の事件にちょっと触れていたのだったが、借りに県警や地検の捜査に何らかの《問題があった》としても、自分の担当でもないそんな一件に、今もなにがしかの関心を払っているというのは、多忙な検事生活から考えて少し奇異な印象も受けた。警察以上に魑魅魍魎の巣窟らしい検察の中で、おおかた何かの見えない糸が今の今も張りめぐらされており、山梨の事件の処理をネタにした内部の潰し合いがあるのかも知れないと思ってみたが、元よりそんなものは一刑事に想像出来る世界ではなかった。(中略)
 手帳をしまって、ぴかぴかに拭き上げられた手元の食卓をちょっと眺めた。早朝着替えに戻ったときに自分が放り出していったはずの新聞や湯飲みを片付け、生ゴミを片付け、ついでにテーブルを拭いていった男は、布巾を絞りながらいったい何を考えていたか―――――――。考えだすと、加納の顔は貴代子に重なり、微妙であったり単純であったりした大学時代からの男二人女一人の年月に重なり、また少し中心を失った位相に落ち込むような脱力感とともに、合田はいつもの当てどない気分にたどり着いていた。別れた女への執着はもうないが、一方でその双子の兄である男の残り香を自分の住まいで嗅ぎながら、俺は何をしているのだ。加納も加納で、いくら十五年来の友人でも、実の妹との結婚を破綻させた男の家へ足を運んできては、何を考えるのだ。どちらも、まるで傷が治るのを恐れるようにつかず離れず、利害はないが、明確な感情があるわけでもない。なぜここにあるのか分からない、さして意味もない、他人の整髪料の匂い一つが苛立たしく、切なかった。(中略)
 明日の葬儀で自分は場内整理係だと、わざわざ書き置いていった男の意図はあえて考えずにおいた。(p.237~240)

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 二百人ほど入れる館内には、黒い頭がほんの五つか六つ散らばっているだけだった。その中に一つ、深く垂れた頭をみつけるやいなや合田は急いで後ろの席に着き、前の座席の方を揺すって「おい」と声を殺した。「こんなところで寝るな」
「ああ、来たか……」と呟いて、加納祐介は欠伸をした。
「まず財布を確かめろ」
「財布は……」加納はダスターコートの胸を探り、「無事だ」と悠長にうなずいた。
 人けのない暗がりに無条件に危険を感じ、暗闇に散っているいくつかの頭が全部スリと痴漢に見えた自分がおかしいのか。昔、加納兄弟と一緒によく来た映画館だが、以前はこんな感じではなかったと合田は思った。昔はスクリーンも明るく、見たのは貴代子の好きなコメディーが多かったが、今スクリーンに映っているのは、モノクロのうっとうしい冬の画面だ。
「ここも変わったな」などと可能は呑気に呟いた。
「ああ……」
「ネクタイ、助かった。クリーニングして返すよ」
「葬儀、どうだった」
「知らない人の葬式は悲しくならないのが困る」
 そんなことを言いながら、加納は前の座席からひょいと、告別式の式次第を印刷したカードを後ろへ差し出した。弔辞を読み上げた関係省庁職員、団体などの名前が並んでいたが、その数は少なく、加納の話では、刑事局長のほかはみな次長級で、弔辞も短かったという。式はことさらに質素で、花輪には献呈者の名前も付かなかった。会葬者以外には誰が参列したのか分からないような配慮がなされたのは、徹底したマスコミ対策だ。遺族は香典も辞退したので、会葬者には会葬御礼のハンカチ一枚が一律に配られただけで、葬儀社側も会葬者の名前は知らず、記帳簿はそのまま遺族の手に渡された。
 加納は、参考までにと言い、参列した役人の主だった顔触れの肩書を淡々と連ねた。合田は後ろの座席で素早くメモを取った。
「故人の風評はどうだ」
「弔辞では型通りのことしか言わないからな……。しかし、真面目一方の人物だったというのは多分事実だろう。刑事局の内部でも、とくに問題があったという話は聞かない」
「何もなくて殺されるはずがない」
「結論を急ぐな。王子の事件については、法務省も検察もあくまで、一現役検事を被害者とする事案という認識だし、それ以上でも以下でもない。にもかかわらず今日の葬儀はなぜ、あんなふうになったか、分かるか?」
「いや」
「分からなくていい。常識では考えられない口出しをしている者が、法務省の上のほう、ないしは永田町周辺にいるということだからな。その結果、我々検察ははなはだ不本意ながら、組織として常識では考えられない過剰反応をして、わざわざ君らの耳目を集めるというバカをやったというわけだ」
「あんたたちが過剰反応した《上の方》って、誰だ……」
「それは分からん」
 合田は、どこまでも物静かな加納の声を耳に沁み込ませ、ゆっくりと反芻しては、一つ一つ慎重に判断を保留した。ふと我に返ると、その短いひとときは、常に追われ続けている日々の中にあいたエアポケットのようだったが、そういえば加納兄妹と過ごした賑やかな年月の底にあったのは、この静かに満たされていく時間だったのだろうと思うと、場違いと知りつつ、何かしら渾然とした無名苦しさが湧きだしてくるのを止められなかった。これがいやで会わないようにしてきた男なのに、いざとなればネタが欲しい一心ですり寄っていく自分が切なかった。あるいは、大事なネタの話をしている最中にふと脱線して、一人の男のことを無性に考えていたりする自分が。
「ともかく《上の方》の横やりが、あまり世間に騒がれたくないという程度の動機だとしたら、一番ありそうなのはご大層な縁戚関係か閨閥。もしくはその式次第にある、法曹界や大学OBのネットワークとか……」加納は言った。告別式の式次第には、暁成大学法学部同窓会、同大学蛍雪山岳会OB会などの肩書が並んでいた。斎場周辺で七係が把握した会葬者のうち、素性不明のスーツ姿の男たちの大半は、出身校の同窓会関係者だったようだった。
「ただし、同窓会はまずい。そこは日弁連会長や霞ヶ関の住人がいろいろ揃っている。当たるんなら、山岳会のほうが安全だと思うが、そこも事前に勤め先を調べてからにしろ」
「松井浩司は山に登っていたのか……。遺体は日焼けしてなかったが」
「昔の話だろう。お前だって今はなんだ、この手は……」
 加納は、自分の座席の背にのっている合田の手をつつき、微笑んだ。その加納の手も白かった。ともに山歩きで真っ黒になっていたころ、夜に大学の守衛に泥棒と間違われ、学生証を見せたら、写真と顔が違うと言われたのはもう遠い話だった。
「雄一郎。今年の夏は、山には行かなかったのか」
「ああ。新宿と上野で外国人の殺し合いが五件。盆休みも取られへんかった」
「あ、大阪の言葉……久しぶりに聞いたな」
「疲れてるんやろ。つい出てしまう」
「雄一郎の大阪言葉、いいぞ。もっと使え」
「やめてくれ、アホ」
「本、読んでるか」
「ああ。ぼつぼつ……」
「なあ、正月に穂高へ行かないか。二人で……」
「穂高のどこへ……」
「北鎌尾根から槍ヶ岳。前穂北尾根でもいい」
 加納はスクリーンの方へ向けたままの顔を動かそうともしなかったが、少しトーンの上がったその声から、ちょっと顔を緩ませているのが分かった。学生時代からずっと、年に数回は加納と二人で山へ登ってきた年月も自分の離婚とともに終わり、二度と一緒に歩くことはないと合田は思ってきたのだったが、閉ざしていた扉を再び軽々としなやかに開けてみせたのは、今回もやはり加納の方だった。春からそれとなく周到に機会を窺っていたか、それともたった今思いついたのか、どちらにしろこの男には自分の裸の心を覗かれている、この自分自身がそれを許している、と認めざるを得なかった。
「ええな……。北鎌か……」と合田は呟いた。
「俺は三月に登った。雪が固くしまっていて雪崩もなかった。よかったぞ」
「俺は二年ぶりやな……。ザイル、腐ってるわ」
「十二月の土日に、南アルプスで足馴らしをしよう。正月休み、必ず取れよ」
「ああ」
「ところで、会葬者の記帳簿だが、警察は最低限遺族と交渉する権利はある。遺族は、あちこちからマスコミに騒がれないよう釘を刺されていると思うが、本心は複雑なはずだ。俺なら何とかして当たってみるが」
「そのつもりだ」と合田は答えた。
「気をつけろ。深追いはするな」
「ああ」
 前の座席から、加納は後ろ向きに手だけ出してきた。合田はそれを握り、席を立った。「居眠りするな」と声をかけると、「心配するな」と加納は応えた。
 帰り道、合田はどこかのショーウィンドーに映った自分の顔を見た。変わりばえしない自分の顔だったが、個人生活の範疇にいる一人の男と会っていた短いひとときの間は、たしかに何かの覆いが一枚剥がれていたような面はゆい感じだったと思った。(p.251~256)

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八日未明の王子署の裏口で、合田が一検事と交わした一瞬の目線を見逃しはしなかった男だ。いざとなれば、それをネタにあれこれつついてくる気だと見て取ったとたん、入手先を伏せて仲間には見せようと考えていた告別式の式次第は、合田のポケットの中で再度日の目を見る機会を失った。そのとき、合田の中で数秒の葛藤はあったが、どこまでも職務の世界に、元義兄を含めた私生活の人間関係を持ち込むのはいやだという思いが、あらためて噴き出したのだった。(p.273)

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 貴代子は、双子の兄祐介と理想主義の骨を分かち合って生まれてきたような女だったが、その頭脳は兄以上に浮世離れしており、当時は東大理学部の研究室で量子論の博士論文を準備していた時期だった。(中略)
兄の加納祐介も、六十年の春の異動で大阪地検から福井へ飛ばされ、以来地方を転々とした後、東京へ戻ってくるのに七年かかった。しかしそれについて本人は一度も触れることはなく、合田に宛てた手紙ではただ、貴代子を責めてくれるなと折にふれて懇願してきただけだった。誰が悪かったのか、何がほんとうの原因だったのかという自問は、そうして今もそれぞれの胸のうちにしまわれたままになっている。(中略)
最終的に妻より警察を取った自分という人間への憎悪や自嘲を、『アカ』という言葉で他人から突きつけられる不快も、結局のところ、どこか快感と紙一重の隠微さなのであり、たとえば加納祐介もそれを知っているから沈黙するのだ。(p.281~283)

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 合田はちょっと考えてみる。十九の夏、大学の図書館で知り合った加納祐介に誘われて初めて登った夏の穂高に始まり、去年夏に最後に独りで縦走した奥秩父まで。貴代子と離婚するまで夏も冬もいつも加納と二人で登り続けた日々は、ひたすら長閑に浮世離れしていたような記憶だけが残っているのだったが、あの世界は狭かったのか、広かったのか。あるいは、加納兄妹と疎遠になってから独りで近場の山を歩き続けてきた日々は、いったい閉じていたのか、開かれていたのか。(p.339~340)

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「地検の方です。そうそう、加納祐介検事にはお世話になってますよ。虫も殺さぬような端正な顔をして、六法全書が服を着て歩いているようなあの細密主義はなかなか潔い。今はちょうど国税が告訴に踏み切ったある法人の、会計処理の解釈でもめてましてね。加納検事は六十からある関連子会社の帳簿を全部見るまでは起訴に慎重なんで、私ら新聞もお預けを食らってる状況でして。……ほら、ちょっと歩きましょうか」
 立ち話は目立つとでもいうふうに根来という記者はぶらりと歩き出したが、その用心深い目配りは、指したり指されたりの検察社会の暗闘を長年覗いてきたら人間はこうなるという見本のようだった。一方合田は、思わぬところで見知らぬ人間から元義兄の名前を聞かさせる戸惑いと、この地検詰めの記者から何か聞けるかも知れないという期待の間で一旦は逡巡したものの、つい後者の方へ気持ちが傾くのを止められなかった。(中略)
 九日夜、池袋の映画館で元義兄に告別式の式次第を渡した加納祐介にも、何かの深謀遠慮があったのだろうか。合田は一瞬考えてみたが、あり得るともあり得ないとも言えなかった。昔ならあり得ないと断言出来たが、長い疎遠の月日を経てこの春にやっと少し取り戻したと思っていた互いの距離も、実はさほど近いものではなかったのかとあらためて考えもした。
 合田が黙っていると、根来は続けて「そういえば最近、どこかで加納検事にお会いになりましたか」と尋ねてきた。合田は即座に「いいえ」と応えた。
「そうですか。加納検事には警察に身内がいるから、リークはそこら辺りからだろうと言う声も耳に入ってきてますよ。あくまでそういう声もあるというだけの話ですが。ご本人にその話をしたら、自分ならもっとマシな話をでっち上げると笑っておられましたけど」(中略)
 池袋の映画館で加納祐介が一捜査員に渡した告別式の式次第は、九日夜の時点では確かにある種のリークだったが、地検の一部で蛍雪山岳会というキーワードが持っていた何らかの意味を承知の上で、加納はたんに警察の捜査を不当に妨げるような情報操作をよしとしなかっただけだろう。地検の一部がやっているリークをリークで牽制し、警察に情報を握らせることによって、警察の捜査への不当圧力を排除しようとしただけだろう。そして加納は当然、今日のような事態に至る何かの鬼門がそこに潜んでいることを、今日まで知らなかったのだ。(中略)
「四、五年前に加納検事が京都地検におられたころに言っておられた。その話も内部の潰し合いの一端だったようですが、山の話で地検内部に不正な事件処理があったと……。今回、蛍雪山岳会の名前が地検の中で流布しているのは、ひょっとしたらその関係化と思ったんですが、ご存じないですか」(中略)
 だいいち、七日の王子の事件発生当初から介入してきた地検が、一部の報道関係者に蛍雪山岳会の名をリークしたのが九日。一方、合田がその名を同じく地検の元義兄から聞いたのは九日夜。(中略)
そしてたぶん、加納祐介もそこまでは知らなかったのだと合田は再度自分に言い聞かせて、元義兄でもあった男については、それ以上考えるのを自分に禁じた。(中略)
 午前四時前、着替えのためだけに赤羽台の団地の自宅に戻り、扉を開けたとき、頭のどこかで予想はしていた通り、空気の中にいつもの微香が残されており、当の加納が少し前までいたのだと分かった。食卓に折り込み広告の紙が一枚載っていて、そこには普段より少し堅さの窺える字でこうあった。
『高島平の一報を聞いて取り急ぎ駆けつけた。(中略。セリフ集を参照してください)』
(中略)そして、加納が京都時代の平成元年に蛍雪山岳会の名簿を入手していたというくだり。根来には白を切ったが、確かに平成二年ごろ、加納が京都からよこした手紙には南アルプスの白骨死体の復顔が云々と書いてあり、々事件の話はついこの間も、かの老受刑者が再審請求を出したという書き置きの文面で触れられていたのだった。もはや、今回の地検の口出しは王子の被害者が法務省官僚だからといった次元の話でなく、もう何年も前から伸びていた地下茎に早々と気づいた結果だという憶測が成り立つところまで来たということだった。また、さらに言えば、九日の時点で蛍雪山岳会を『松井某の一般的な鑑の範囲と考えていた』という加納は、この件の情報に関してはむしろ内部で遅れを取っていたということだろう。元義兄について、そうして三度個人的な感情や疑念を押し退けてみた後、合田の刑事の頭には《山の話》が残った。平成元年の時点ですでに、山岳会の名簿を入手してまで地検が関心を寄せていた《山の話》―――――――。
 合田はその場で押入れを開け、自分宛の古い私信をしばし手当たり次第にひっくり返し、ひっくり返しした。地方勤務の間、ときどき加納が書きよこした手紙はどれもこれも浮世離れした本の話、身近で見聞きした滑稽な人物評、ヒマに任せて訪ね歩いた郷土の旧跡などの話に尽き、実妹貴代子の思想偏向を問われて地検で不遇をかこつ我が身を茶化して恬淡としている印象があるばかりだったが、大事な話をそうだとは言わない検事の習性で、たぶんに日常を装っていたのかも知れない。多くは読み飛ばしただけだったそれらの手紙の中に、南アルプスの白骨死体のほかにも《山の話》はなかったか。どこかの山岳会や暁成大学の話はなかったか―――――――。何もかもがあったかも知れないし、なかったかも知れない。渾然とした記憶の霧の中だった。見たり聞いたりしたのが自分だったのか、手紙の中の男だったのかもときどき分からなくなる。(中略)
それからまた元義兄の私信を当てもなく探し続け、手元がかすかに明るくなり始めているのに気づいて顔を上げると、壁の時計はすでに午前五時過ぎだった。合田は僅かに白んでいくベランダの外の空を仰ぎ、今頃森義孝ははち切れそうな昏い抱負を腹に抱いてもう始発電車に乗っている、とぼんやり考えた。加納祐介は世田谷の官舎で眠れぬ夜を明かし、山のような懸案に占領された頭の片隅で、元義弟のアパートで折り込み広告の裏にしたためた中途半端な文言のことを考えている。そして、片やその元義弟は寝室の畳一杯に古い手紙を散らかしたまま、欠伸の一つも出口を失ったような脳髄の痛みをしんしんと感じているのだ、と。どんな事件も所詮は他人の時間であり、森のように常に強烈な意思力で突進し続けない限り、一刑事や一検事にあるのは自分のものでさえない宙吊りの時間だけだった。(p.353~366)

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マークスの山

『拝啓 虚礼だとは思わぬが、怠惰につき賀状を失礼させていただいた』『先日、頭蓋骨から復顔された顔写真なるものを見る機会があった……』『……あれは実に醜悪だった。そもそも土に還った肉体の復元などというものは、モンタージュ写真とは完全に別種のものだと思う。あの生々しい凹凸のある粘土の顔を前にしたら、誰しもおのれの知力に危機感を覚えるだろう。目前で形になっているばかりに、あの似て非なる別物が、あたかも本物のように思えてくるのは、これこそ人知の限界というやつだ。
 しかし、巷にはもっと醜悪な話がある。小生があるところから聞き及んだところでは、あの青年が行方不明になった直後に、こちらの公安当局は青年が南アルプス方面に出かけたことを掴んでいたということだ。それについて、当時は関係各警察への連絡も、本格的な捜索も行われなかった。これは明らかに人知の限界内の話だ。事情の如何にかかわらず、このようなことはあってはならない。
 ともかく、かような話を耳にするにつけ、小生の若白髪はまた数本増えたような気がするが、君の方はいかがお過ごしか……』(p.66~67)

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《また飲もう》
《とんでもねえよ》
《捜査現場に端から口を出すところなど、何人たりとも捨て置け。一に証拠、二に証拠。証拠さえ揃えば、法が判断する》(p.136~137)

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《雄一郎殿
 小生のアイロンが火をふいたので、君のを借りに来た。官舎では、こういう生活道具の貸し借りはしたくないのだ。ついでに黒ネクタイも一本拝借した。
 お察しのことと思うが、今夜は故松井某の通夜、明日は本葬があるため、小生は一日青山斎場に詰めている。故人の関係省庁だけで二百人程度の会葬者が予定されている。小生は場内整理係だ。
 昨夜、王子署に出向いたので、事件について多少の話は聞き及んでいる。小生で役に立つことがあれば言ってくれ。なお、蛇足ながら一昨日久しぶりに貴代子から電話があった。ボストンの水が合っているそうだ。君も元気だと伝えておいた。 加納祐介》
《そうそう……》《山梨の友人から入手したニュースを一つ。三年前に白骨死体の復顔写真が手配された事件で、有罪が確定して服役中の老人が、地裁に再審請求を出してきたそうだ。刑訴法第四三五条の六号による請求だと聞くが、新規に反証となる証拠が出てきたのかどうか。検察の立場から言うとはなはだ不快だが、公判記録を閲覧した限りでは、証拠や自白の整合性に問題があったと言わざるをえない事件であったので、成り行きを注目している》(p.151~152)

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「ああ、来たか……」
「財布は……」「無事だ」
「ここも変わったな」
「ネクタイ、助かった。クリーニングして返すよ」
「知らない人の葬式は悲しくならないのが困る」
「弔辞では型通りのことしか言わないからな……。しかし、真面目一方の人物だったというのは多分事実だろう。酒、タバコ、女、金、どれも無縁だ。刑事局の内部でも、とくに問題があったという話は聞かない。とにかく目立たない。公務員の鑑だな、まるで」
「法務省は一応は静観の構えだ。検察も、捜査にあたって指揮権は発動しない方針だが……」
「検察の過剰反応には、捜査上のやむを得ない理由のある場合と、そうでない場合がある。松井の葬儀は、俺の知る限りは後者だ」
「ああ。俺の知る限り、今のところ検察の意志というより法務省の意向が強く働いている。地検の内部でも、首をかしげている連中が多い。当たり前だろう?たかが次長ひとり死んで、この騒ぎはない」
「多分」
「公務員関係や近親者は、当たっても無駄だ。当たるなら、その式次第に書いてあるだろう、大学の……」
「同窓会はまずい。日弁連会長、国家公安委員、省庁幹部、いろいろ揃っている。山岳部の方がいい。ただし、そこも官公庁関係が多いから、事前に調べることだ」
「昔の話だろう。お前だって今はなんだ、この手は……」
「雄一郎。今年の夏は、山に行かなかったのか」
「あ、大阪の言葉……久しぶりに聞いたな」
「雄一郎の大阪言葉、いいぞ。もっと使え」
「本、読んでるか」
「そうだ、正月に穂高へ行かないか」「なあ、二人で行こう。北鎌尾根から槍ヶ岳……。前穂北尾根でもいいな……」
「俺は三月に登った。雪が固くしまっていて雪崩もなかった。よかったぞ」
「十二月の土日に、南アルプスで足馴らしをしよう。正月休み、必ず取れよ」
「ところで、会葬者の記帳簿だが……。王子の捜査本部は最低限《見せてくれ》という権利はある。遺族は、あちこちからマスコミに騒がれないよう釘を刺されていると思うが、遺族の気持ちは違うはずだ。言い方ひとつで首を縦に振るか振らんか、まず試してみることだ」
「気をつけろ。深追いはするな」
「心配するな」(p.161~164)

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《今、どこだ》
《不明だ》(p.303)

「雄一郎!」
「俺の義弟だ」
「合田雄一郎。捜査一課の固い石だ。今後ともよろしく頼む」
《またな》
《俺は正しいし、お前も正しい》(p.305~306)

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《そうであるべきだ》(p.354)

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『ここを読め』(p.407)

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《加納です》
《声が遠いぞ。どこからかけてるんだ……》
《死んだのか……》
《死人に口なしか……》
《雄一郎。気持ちは分かるが、焦るな……》
《……いつでもいい。連絡くれ》
《……時間通りに来いよ。俺が居眠りしないように》
《いいとも。ゆっくりゆっくり登って、日本一の富士を眺めようか……》(p.441)

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マークスの山

マークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)
マークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)

 年に数回、忘れたころに手紙をよこす男がいる。高校・大学時代の友人。義兄。地方検察庁検事。いろいろ肩書はあるが、十四年も付き合っていると、相手が手紙をよこす理由など、もはやどうでもよくなってくる。ただし、その男の手紙は、普段は筆不精で賀状一枚書かない怠け者に、曲がりなりにも数行の返事をしたためさせる特別な力を持っていた。もっとも切手にあった京都の消印を見たとき、最初に思い浮かべたのは嵯峨豆腐だったが。
 男は加納祐介といった。ほぼ二年毎に地方転勤を繰り返す検事稼業のせいで、今は京都にいる。その夜の手紙は、『拝啓 虚礼だとは思わぬが、怠惰につき賀状を失礼させていただ」いた』という達筆の書出しに続いて、『先日、頭蓋骨から復顔された顔写真なるものを見る機会があった……』などと続いていた。
(中略。セリフ集を参照してください)
 新年早々、何ということを書いてよこす奴だと思いつつ、合田は加納の若々しい美貌を思い浮かべた。一人一人が独立した国家機関である検察官の建前が、加納という男の中では名実ともに生き続けている。その結果の若白髪だが、あと十数年我慢すれば、それも美しいロマンスグレーになるだろう。同じように私生活は最低だが、貴様の方がまだマシだと思いながら、合田は、四日分まとめて呷ったウィスキーの勢いで、拙い返事を書いた。(p.66~67)*1990年のお正月です。

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 署を出たとき、玄関前の路上に散っていく人影の中に、合田はふとスーツの後ろ姿を一つ見分けた。自分と似たような地平にいるのに、なぜかいつも、自分の日々の喧騒とはかけ離れた涼風の吹いている、一人の男の背だった。
 合田は「おい!」と呼んだ。
 相手はその声に振り向き、白い歯を覗かせて《また飲もう》と目で言ってよこし、そのまま同僚の検事らとともに去っていった。
 合田はその場で少し自分の足を踏みしめた。半年前の春の異動で東京地検へ移ってきた加納祐介とは、春に一度会ったきりだ。今夜の事件で、やはり地検から強制的に駆り出されたのだろうが、意外な再会だった。加納とは身内ではあるが、長年の公私の経緯があって、人前で顔を合わせるのは少々まずい間柄だった。一瞬にしてもそのことを忘れて『おい』はないだろうと反省しながら、一方では自分の無頓着さがおかしく、久々の加納の超然とした笑みもおかしかった。
 そういえば、立ち去っていく加納の背は《とんでもねえよ》と言っているふうだった。加納が言うだろうことは百年一日、分かっている。《捜査現場に端から口を出すところなど、何人たりとも捨て置け。一に証拠、二に証拠。証拠さえ揃えれば、法が判断する》(p.136~137)

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 台所のテーブルに新聞の折込み広告の紙が一枚載っていた。裏にこう書いてあった。

《雄一郎殿
 小生のアイロンが火をふいたので、君のを借りに来た。(中略。セリフ集を参照してください)

 加納には、春に会ったときに部屋の合鍵を渡した。誰も知らない避難場所がほしいと贅沢なことをのたまい、合鍵をくれなどと言うのは加納ならではだ。しかし、合田が留守だと分かっているときにしか来ない気づかいも忘れない。双子の妹貴代子と瓜二つの男の顔を、合田があまり見たくないと思っていることを知っているのだ。もう、別れて五年も経っているのだから、それほど気づかう必要もないのだが。
《そうそう……》と、加納は紙の端に小さな字で書き足していた。《山梨の友人から入手したニュースを一つ。(中略。セリフ集を参照してください)
 そういえば、そんな事件があった。(中略)検察の人間として加納が《不快》だというのは、合田も同じだった。(中略)
 手帳をしまって、合田はふと、自分の坐っている食卓がぴかぴか光っているのに気付いた。小まめな加納が磨いていったらしい。貴代子は『掃除は兄さんに任せるわ』と笑っているような自由奔放な女だったが、兄の加納は六法全書片手に、掃除機をかける男だった。若かったころ、兄妹のどちらも、凡庸な自分には眩しい才気と美貌の持ち主だった。
 (中略)過去が完全に過去になるには、自分も加納も、まだ若過ぎる。(中略)
 そういえば、加納が当の葬儀に出るというのはほんとうか。思い浮かべようとすると、どうしても貴代子の顔と一つに重なる加納の顔を、あらためて思い浮かべながら、合田はふとズックを洗う手を止めた。(p.151~153)

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 二百人ほど入れる館内に、黒い頭がほんの五つか六つ散らばっていた。それらをざっと見渡した後、一番端の後ろの方に一つ、深く垂れた頭を見つけるやいなや合田はなぜか慌てた。急いで後ろの席に着くと、腰を下ろすのもそこそこに、前の座席の方を揺すって「おい」と声を殺した。「こんなところで寝るな」
「ああ、来たか……」と呟いて、加納祐介は欠伸をした。
「まず、財布を確かめろ」
「財布は……」加納はダスターコートの胸を探り、「無事だ」と悠長にうなずいた。
 ほかの人間なら心配しないが、スリには加納のようなのんびりした御仁は絶好のカモだ。それとも、人けのない暗がりに無条件に危険を感じ、暗闇に散っているいくつかの頭が、全部スリと痴漢に見えた自分がおかしいのか。昔、加納兄妹と一緒によく来た映画館だが、以前はこんな感じではなかった。昔はスクリーンも明るく、見たのは貴代子の好きなコメディーが多かったが、今かかっているのは、モノクロのうっとうしい冬の画面だ。
「ここも変わったな」などと加納は呑気に呟いた。
「ああ……」
「ネクタイ、助かった。クリーニングして返すよ」
「葬儀、どうだった……」
「知らない人の葬式は悲しくならないのが困る」
 そんなことを言いながら、加納は前の座席からひょいと、告別式の式次第を印刷したカードを後ろへ差し出した。弔辞を読み上げた関係省庁、団体などの名前が並んでいた。その数も少なく、加納の話では、刑事局長のほかはみな次長級だったらしい。弔辞も短かったという。式はことさらに質素で、花輪には献呈者の名前も付かなかった。会葬者以外には誰が参列したのか分からないような配慮がなされたのは、徹底したマスコミ対策だ。遺族は香典も辞退したので、会葬者には階層御礼のハンカチ一枚が一律に配られただけで、葬儀社側も会葬者の名前は知らない。記帳簿はそのまま遺族の手に渡されたという。
 加納は参考までにと言い、参列した役人の主だった顔ぶれの肩書を淡々と連ねた。合田は後ろの席で素早くメモを取った。
「故人の風評はどうだ……」
「弔辞では型通りのことしか言わないからな……。しかし、真面目一方の人物だったというのは多分事実だろう、酒、タバコ、女、金。どれも無縁だ。刑事局の内部でも、とくに問題があったという話は聞かない。とにかく目立たない。公務員の鑑だな、まるで」
「何もなくて殺されるはずはない」
「法務省は一応は静観の構えだ。検察も、捜査にあたって指揮権は発動しない方針だが……」
「何が静観だ。今日の葬儀のガードの固さは異常だった」
「検察の過剰反応には、捜査上のやむを得ない理由のある場合と、そうでない場合がある。松井の葬儀は、俺の知る限りは後者だ」
「理由がない……ということか」
「ああ。俺の知る限り、今のところ検察の意志というより法務省の意向が強く働いている。地検の内部でも、首をかしげている連中が多い。当たり前だろう?たかが次長ひとり死んで、この騒ぎはない」
 合田は、どこまでも静かで柔らかい加納の声に耳を傾けながら、昔からそうであったように、そのまますべて受け入れ、ゆっくり反芻し、肯定も否定も支援に湧き出るままに任せた。湧き出てくるものの中には、肯定や否定のほかに、過ぎ去った日々の光やかげりの渾然とした旋律も含まれていた。日ごろ自分の回りにはない、何かの風邪が吹いてくるのを感じる。学生時代、加納兄妹と過ごした賑やかな日々、自分の胸を満たした茫洋とした蜃気楼が、未だに身体のどこかに残っている。それが切なかった。
「松井には何かあるな……」
「多分」と加納。
「松井を個人的に知っている者、誰かいないか」
「公務員関係や近親者は、当たっても無駄だ。当たるなら、その式次第に書いてあるだろう、大学の……」
「N大法学部同窓会。N大蛍雪山岳会OB会……」
 今日、斎場近辺で見張っていた肥後たちが、素性をつかめなかった背広姿の男たちの大半は、同窓会関係者だったようだ。
 加納は続けた。「同窓会はまずい。日弁連会長、国家公安委員、省庁幹部、いろいろ揃っている。山岳会の方がいい。ただし、そこも官公庁関係が多いから、事前に調べることだ」
「山岳会か……。山に登っていたのか、松井は。遺体は日焼けしてなかったが」
「昔の話だろう。お前だって今はなんだ、この手は……」
 加納は、自分の座席の背にのっている合田の手をつつき、微笑んだ。その加納の手も白かった。二人とも山歩きで真っ黒になっていたころ、夜に大学の守衛に泥棒と間違われ、学生証を見せたら、写真と顔が違うと言われたのは、もう遠い話だ。
「雄一郎。今年の夏は、山には行かなかったのか」
「ああ。新宿と上野で外国人の殺し合いが五件。盆休みも取られへんかった」
「あ、大阪の言葉……久しぶりに聞いたな」
「疲れてるんやろ。つい出てしまう」
「雄一郎の大阪言葉、いいぞ。もっと使え」
「やめてくれ、アホ」
「本、読んでるか」
「ああ。ぼつぼつ……」
「そうだ、正月に穂高へ行かないか」加納はふいとトーンの上がった明るい声を出した。話があっちこっちへ飛ぶのは昔からだ。「なあ、二人で行こう。北鎌尾根から槍ヶ岳……。前穂北尾根でもいいな……」
 斜め前を向いたままそんなことを呟く加納の頬に、現世の雑事を忘れたような笑みがふくらむのが見えた。そういえば、合田も無意識に後ろに坐ったのだが、加納も一度もこちらへ振り向こうともしない。
 五年前まで、加納とは年に四、五回は二人で山を歩いていた。合田が加納貴代子と別れてから、互いに顔を合わせるのを避けるように単独行ばかりになった。どちらかが言い出さなければ、二度と一緒に歩くこともないと思ってきたが、ごく自然に、閉ざしていた扉を開けるのは難しい業だ。それを先にやったのは、やはり加納だった。
「ええな……。北鎌か……」と合田は呟いた。
「俺は三月に登った。雪が固くしまっていて雪崩もなかった。よかったぞ」
「俺は二年ぶりやな……。ザイル、腐ってるわ」
「十二月の土日に、南アルプスで足馴らしをしよう。正月休み、必ず取れよ」
「ああ」
「ところで。会葬者の記帳簿だが……。王子の捜査本部は最低限《見せてくれ》という権利はある。遺族は、あちこちからマスコミに騒がれないよう釘を刺されていると思うが、遺族の気持ちは違うはずだ。言い方ひとつで首を縦に振るか振らんか、まず試してみることだ」
「そのつもりだ」と合田は答えた。
「気をつけろ。深追いはするな」
「ああ」
 前の座席から、加納は後ろ向きに手だけ出してきた。合田はそれを握り、席を立った。「居眠りするな」と声をかけると、「心配するな」と加納は応えた。
 帰り道、合田はどこかのショーウィンドーに映った自分の顔を見た。変わりばえしない自分の顔だったが、個人生活の範疇にいる一人の男と会っていた短いひとときの間は、何かの覆いが一枚剥がれていたような面はゆい感じだった。明日職場に出たときには、その覆いをまた被っているのだろうが。(p.161~164)

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 地検の中で、また泥試合をやっている。今回は、陰湿な中傷の網をものともせずに泳いできた加納祐介が、くわえていたエサをひょいと網の外に投げてくれ、それに齧りついたのが自分だった。誰かに見られていたのではない。検察内部で何かのリークがあって、外に合田の顔があったら、一+一=二で加納が網にかかるだけのことだった。逆も然り。もう十年来そういう外圧の繰り返しだが、どちらもへこたれず、しぶとく生き抜いてきた自信はあった。(中略)
 今夜何度か去来していた加納祐介の顔を再び瞼に浮かべたら、それはいつの間にか貴代子の顔になった。五年も前に別れた女の顔には、最近は、もうあまり肉体の匂いはないのが普通だった。目の前に現れたらどうなるか分からないが、今になって思い出す貴代子の姿は、兄と同じ、凛とした涼風に包まれていることが多い。そういう貴代子が好きだった。(中略)
 一方、大学三年で司法試験に合格した俊才の加納祐介も、司法修習の後、やはり貴代子の思想偏向と私生活を問われて、今年の春まで地方の中でも重要度の低い地方支部を巡ってきた。遂に結婚もしなかった。それを加納に耐えさせたのは、権力が何であれ、貴代子の高潔と合田の剛直な精神のカップルを己の理想と信じ続けたからだろう。
 それが破綻したとき、別れないでくれと号泣した男も、合田も貴代子も、それぞれ試練を乗り越えて今日があった。だが、男二人がそれぞれの社会で生き残るために、貴代子を潰した日々に対する思いは、加納と自分とではいくらか違っていた。女を知らない無菌培養の加納には、合田が貴代子に対して懐いた単純な嫉妬や悔恨の大部分は理解出来なかったはずだ。同じように、己の理想に捧げる加納の高潔な意志と献身と、そのために手段を選ばない一途は、合田には理解しがたい部分もあった。
 加納とはむしろ、それらの愛憎や社会生活の信条とは別の次元で結ばれてきた。それはたった二つの符号で成り立っていた。《山へ登ろう》《ドストエフスキーを読もう》という、単純かつ浮世離れした符号で。
 しかし、それは合田だけの考えかも知れない。今夜、あの根来という記者に、『気をつけてくれ』という一言を託した男がいる。それを受託した根来にとっては《良心の捌け口》だろうが、請託した男の思いの切実さは、百倍にもなって合田の血の中を巡っていた。
 合田はそれ以上、考えるのを自制した。瞼にちらつく貴代子の顔が再度、加納と重なり、情動と精神がごっちゃになり、自戒や怒りや優しい気持ちが渾然となって、今夜はもう、何を考えても実りはないと思ったからだった。(p.226~228)

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 そこでしばらく保留音になり、また別の声が《今、どこだ》と穏やかに尋ねた。同僚検事の手前もはばからない、いつもと同じ加納祐介の声だった。噴き出しかけていた罵声が引っ込み、我ながら呆れ返って受話器を取り落とすところだった。
 いや、加納が電話に出たのが、偶然でないことは分かっていた。佐伯正一の件が特捜部の内偵事項であることを知っている警察官は一人しかいない。電話の主が警察だと分かった時点で、加納には誰だか分かったはずだった。いや、加納だけでなくほかの検事たちにも。
「佐伯の所在、分かっているのか、いないのか」と合田は短く繰り返した。
《不明だ》と加納は応えた。
「だったら、今から佐伯の自宅の強制立入りをする」
 それだけ言って、合田は一方的に電話を切り、無言の拳ひとつを電話ボックスのガラスに見舞った。
 特捜部ともあろうところが、内偵中の人間の所在を掴んでいないということはよもやあるまいと考えた末の確認の電話だった。だが、返事は《不明》。それが事実なら、端的に佐伯は逃げたということであり、諸般の事情を鑑みて、木戸の壊された佐伯の留守宅を覗いてみるのは、警官の職務執行法の権限内の話だった。
 合田は電話ボックスを飛び出し、佐伯の自宅へ向かって走った。自分の行動はよく分からなかった。同僚の前で平然と電話に出る加納の神経も分からなかった。だが、そうして不用意な電話を入れた自分は、特捜部の内偵を気づかったわけではなく、ただひとりで佐伯の家を覗くのが怖かったのだった。怖くてたまらないときに、電話を入れるところはどこでもよかったのだが、よもや身内の警察にはかけられなかっただけだった。加納の声は聞きたくなかったと、勝手なことを考えた。(p.303)

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加納や地検詰め記者からの情報源を漏らしたくないがために、仲間に佐伯の情報を徹底しなかったこと。(中略)
 せめてタバコを吸うために、ひとり現場を離れたときだった。十字路を一つ曲がるともう深夜の静けさが戻る道端で、タバコの赤い火を灯らせている男が四人、こちらを見た。
 佐伯の異変の一報はすぐに地検特捜部へも届いたはずで、同じように駆けつけてきた男たちだった。加納祐介の姿があった。合田の足が自動的に回れ右するより早く、加納の声が「雄一郎!」と呼んだ。
 加納は手招きをし、悠然と合田の袖を引いて、同僚検事たちの前に引き出すやいなや、「俺の義弟だ」と言った。「合田雄一郎。捜査一課の固い石だ。今後ともよろしく頼む」
 巷に徘徊する噂や中小の毒虫をさっさと自分の手で払って、同僚たちに義弟を引き合わせた加納は、そうして先手を取り、清々した眼差しを合田に投げた。合田は軽く会釈だけした。検事たちも会釈した。
「他殺か自殺か、それだけ確かめに来たのです。自殺だったら、目も当てられないところだったので」と検事の一人は言った。それ以上の会話はなかった。
 加納は、《またな》と片手を挙げた。合田も片手を挙げた。
《俺は正しいし、お前も正しい》そう言いたげな毅然とした目をよこして、加納は背を向けた。合田も足早にその場を離れた。
 別の路地へ逃げてひとりになり、合田はやっとタバコに火をつけた。今夜一度に押し寄せてきた数々の狼狽。自責や悔恨の怒号。それらはいつの間にか鎮まっていた。我が道を行く義兄殿に負けた、と思った。
 加納と出会ったためにしばし遠のいていた現場の喧騒を再び耳にしながら、合田はあらためて、四人目の犠牲者でひっくり返った自分の脳味噌を、こねまわしこねまわし、ひねり潰したい思いで探り始めた。(p.305~306)

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(真知子の病室にて)
 かつて、自分や加納祐介が職場で被っていた密告と醜聞のさざ波を、加納貴代子が早くから知っていたように。(中略)
『そうであるべきだ』と加納などは言うが、足を止めても得るものは現実には何もない。(p.346~354)

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 ああ、来たんだなと思った。
 塵一つなく光っている食卓の上に、《冬こそ穂高!》という特集記事の見出しが載った真新しい山の雑誌が一冊置いてあった。『ここを読め』と、加納が何ヶ所もページの隅を折り返している。新素材の防寒具の広告。登攀具の安売りの広告等々。
 加納とはたしかに正月登山の約束はしたが、すっかり忘れていた。かろうじて、これが男二人の個人生活かと思いながら、雑誌を横目で眺め、苦笑いが出た。(p.407)

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 自分も、あるいは加納も、なぜ山へ登るのか。その理由は今でも知らないが、五人の男たちの後ろ姿の一部が、己の姿と重なっているような気がして、合田は自分の五臓が震えるような思いに陥った。(中略)
 理由のない無言の憤怒、不安、陶酔が繰り返し押し寄せ、加納とは真夜中にいきなり殴り合いを始めたこともある。互いの首に手をかけたこともある。
 かと思えば、底雪崩の轟音が下ってくるのを聞きながら、ぼんやりと二人で坐ったまま動かず、《俺たち死ぬぞ》と笑っていたこともある。そのあと雪崩の爆風に吹き飛ばされて、互いの姿がしばし見えなくなると、突然激しい憎しみが走り、次いで《愛してる》と思った。憎しみ、愛していると感じたのは、雪と山と寒さと恐怖と、世界と加納のすべてだ。そうしたことを、これでもかというほどくり返しながら、岩稜が天に向かって続く限り、またひたすら登っていく。(p.425)

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兄と同じように、現世の汚濁を超越した風が吹いているように思える貴代子のすがすがしい姿だった。
 自由と英知の涼風や、断固とした遵法の精神や、人間としての基本的な良心が、謂われのない中傷と悪意にさらされる世界に、加納兄妹は今も昔も凛として生きている。(p.428)

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《加納です》と電話の声は応えた。
「雄一郎」
《声が遠いぞ。どこからかけてるんだ……》
「広河原。北岳から水沢裕之の遺体を下ろしてきたところや」
《死んだのか……》
「ああ」
《死人に口なしか……》
 加納祐介はそう呟いた。加納はおそらく、あの白骨の復顔写真が出回ったころに、すでに地検のルートで事件の裏を嗅ぎつけていたに違いなかった。それから三年後、事件が一連の恐喝殺人と化して東京で再び噴き出したとき、捜査に携わった合田に、広告のチラシの裏にメモを書いたりして、それとなく目配せを送り続けてきた。その男の、無言の絶望の吐息が伝わった。
「祐介。頼みがある」と合田は端的に切り出した。「地検特捜部は佐伯正一の足取りを追っていたのなら、十月九日の赤坂の料亭に、住田会会長がいたことも知ってるだろう。そこに林原雄三がいたこともな。確かに三者がそこに《いた》という証拠が欲しい」
《雄一郎。気持ちは分かるが、焦るな……》
「焦ってへん。昭和五十一年十月に野村久志を山に埋め、平成四年十月五日と十三日に、住田会と吉富組を動かして水沢裕之を殺そうとして果たせず、結果的に無実の看護婦ひとりに重症を負わせた弁護士が、最後に生き残った。俺は手段は問わへん。時効まで追ってやる。時間はある」
《……いつでもいい。連絡くれ》
「いや、明日や。午後十時、池袋のいつもの映画館で」
《……時間通りに来いよ。俺が居眠りしないように》
 加納祐介の沈んだ声を聴きながら、合田はふと言い忘れたことを思い出した。
「なあ……正月登山は北岳にせえへんか」
《いいとも。ゆっくりゆっくり登って、日本一の富士を眺めようか……》(p.441)

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ご案内

高村薫さんの「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」「太陽を曳く馬」、いわゆる合田シリーズに欠かさず登場する超脇役にして名脇役、隠しきれない輝く知性と美貌の持ち主、加納祐介を愛するじょんのブログです。

*このブログの構成*
お知らせ:更新情報など。
祐介登場:各作品の加納登場場面ピックアップ集。「加納」「義兄」「検事」などをことごとく拾い集めていますので、必ずしも本人が登場しているとは限りません。
祐介はかく語りき:加納のセリフ集です。
連載vs単行本vs文庫本:それぞれの加納登場場面、セリフを比較しつつ、各作品への個人的な感想。
祐介解体:加納祐介のプロフィール。あくまで仮定、推測、理想、そして冗談!
LOVEv祐介:加納へのひたすら一方通行なラブレター。愛の独り言です。
祐介の読書のススメ:作品中、加納が読んだ、勧めたと思われる小説など。
祐介の簡単クッキング♪:家事の得意な加納の料理場面から頑張って再現。
お遊び広場:加納で遊んでみよう!
fictions:人はこれを駄文、自己満足と呼ぶ。妄想集。

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加納で遊んでみよう

加納と、ではなく加納で、遊んでみます。

なんてこたあない、一時期流行った脳内メーカーで加納祐介を分析してみました。

<その1.加納祐介>

Nounai_1

・・・・・・(絶句)
なんだか悪そうな、黒そうな奴ですねえ(笑)。金と悪と欲にまみれつつも友を慕っているあたりはまだ救いがあるか?

<その2.かのうゆうすけ>

Nounai_2

一気に加納らしくなりました(笑)、でもまだちょっと悪い奴。合田をどう落とそうか、と企んでいるんでしょうか。

<その3.yusuke kano>

Yusuke_kano

どうしちゃったんだ加納ーーーーー!!!!(絶叫)

<その4.合田との相性やいかに?>

Goda_kano

うわあ・・・ヤバイっすよ、兄さん、これは。遊ばれてますよ!!加納も愛じゃなく欲なあたりが本能的というか・・・うわあ・・・・・(汗)。

お粗末さまでした。

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加納が読んだ本たち

罪と罰〈上〉 (岩波文庫) 罪と罰〈中〉 (岩波文庫) 罪と罰〈下〉 (岩波文庫)
罪と罰〈上〉 (岩波文庫) 罪と罰〈中〉 (岩波文庫) 罪と罰〈下〉 (岩波文庫)

《ドストエフスキーを読もう》(マークスの山、p.228)

ドストエフスキーは有名なのであえてあらすじがどうのと解説しません。著作は多いのですが、私が読んだのは「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」の3つだけです。中でも高村作品に関連が強いのは「罪と罰」でしょう。吾妻のあだ名の元になったポルフィーリィが出てきますし、「照柿」は現代版「罪と罰」とも言われているので、高村ファン必読の書ですね。いずれ「白痴」なども読んでみたいです。

ブリタニキュス ベレニス (岩波文庫)
ブリタニキュス ベレニス (岩波文庫)

朝、でがけに義兄の書棚から失敬してきたカビ臭い文庫本はラシーヌの詩劇だった。(照柿、p.265)

ラシーヌはフランス人作家なんですが、これを原書で読めという加納も、往生しつつも読んだ合田も普通の大学生じゃないと思う。
ブリタニキュスは皇帝がある女性を愛し、彼女の恋人に嫉妬したあまり毒殺してしまうというあらすじらしいですが(読んでないので知りませ~ん)、合田は達夫と美保子に嫉妬する自分と重ね合わせたようです。が。これ、どう考えても合田と貴代子に嫉妬した加納が奸計を巡らせる方へ取ってしまいます。

神曲 地獄篇 神曲 煉獄篇 神曲 天国篇
神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1) 神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2) 神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

そういえば、この義兄に尻を叩かれて、貴代子と一緒にダンテの『神曲』を読んだのは、二十歳のころだったか。(照柿、p.254)

説明不要ですね。暗い森をさまよう加納を導くヴェルギリウスを合田と考えるのか、永遠の淑女ベアトリーチェが合田なのか。
「神曲」はいくつかの訳があり、私が読んだのは山川丙三郎訳の岩波文庫ですが、「照柿」で引用されているのはどうやら平川祐弘訳のようです。上の画像は平川訳の河出文庫のものです。
あくまで山川訳を読んだ私の感想ですが、さすがに永く読み継がれるだけに、圧巻です。そもそも私は詩を読む習慣がないのですが、まったく退屈せずに読めました。小まめに巻末の註を参照するより、まずはざっくり全体を味わい、二度目、三度目で深い理解を求める読み方が良いと個人的には思います。

北越雪譜 (ワイド版岩波文庫)
北越雪譜 (ワイド版岩波文庫)

私も『北越雪譜』は好きですが、根来さんは子供のように嬉しそうでした(レディ・ジョーカー、下巻p.346~347)

高村さんを知らなければ絶対に出会わなかった本です。文語体ですが、非常に軽妙な文章で雪国の生活などが活き活きと描かれ、楽しく読みました。根来さんが初版の原画を見つけて喜んでいた、というくだりを理解しようと思うと、初版が出版されるまでのいきさつが巻末に記載されている岩波のものが良いと思います。

エクリ 1
エクリ 1

相似形のような兄から借りてきて、夫の食事もつくらずに暗い台所のすみで読み耽っていたラカン。(太陽を曳く馬、下巻p.298)

精神医学、心理学、言語学・・・人間理解の書。有名ですが、日本語訳があまりに破綻しており、内容以前に読むのは難解です。対象a、ドストエフスキー、禅など、高村薫さん、そして太陽を曳く馬と何より関連の高い本ですが、これを読むにはかなりの根性が要ります。これもラシーヌ同様フランス語なので加納は原書を読んだ可能性も高そうです。

*オマケ

「ローマ・ある都市形成の歴史」
幻の七係シリーズの第2話、放火(アカ)の中で「読書狂の義兄に『読め』と押し付けられた」合田が読んでいるのですが、Google、amazon、国会図書館、いずれも検索にヒットしませんでした。何せフランス文学を原書で読む2人なんで、もしかしたら日本にはない本なのかもしれません・・・。

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加納祐介解体新書

氏名:加納祐介
生年月日:1958年。月日は不明。初夏の爽やかな晴れた日に生まれたことにしておこう。
血液型:合田雄一郎型
身長:182cm
体重:70kg
性格:のんびり屋で真っ直ぐなええ男(合田談)。片っ端から洗濯物を畳んでいくなど潔癖なところも。
職業:検事、のち判事
出身:茨城県水戸市。
車:ワーゲンのゴルフ。色は不明だが、汚れの気にならないシルバー系。
髪:若白髪。40代半ば~後半で美しいロマンスグレーになる予定。かつてはムースでざっとまとまりと流れを整えるだけだったが、最近は髪の密度とコシを気にしてワックスで空気感を出すように頑張っている(かもしれない)
趣味:読書、合田
特技:家事
酒:ウイスキー派
学歴:一橋大学法学部卒。本当は東大に行けるほどの俊才なのだが、理系の才能を双子の妹が持っていってしまったため、理論で解ける数学、物理はともかく生物を苦手とし、安全圏狙いで一橋を受験。表向きは「少数精鋭ゼミなどの取り組みが好ましいから」としているが、実は東大を諦めた合田と同じ大学に行きたかったというのが真相。ちなみに加納の頃の国公立受験はセンター試験でも共通一時でもなく、大学直接受験。ただし国公立は受験日程が前後期に決まっており、東大と一橋は同日のため、どちらかに絞って受けるしかなかった。
転勤歴:1981年司法修習、大阪でスタート、その後も大阪地検で大阪暮らし。→1983年、京都地検→1984年、再び大阪地検→1985年、福井地検→1987年、新潟地検→1989年、再び京都地検、1992年、東京地検特捜部。'95年現在も東京地検特捜部。'98年もおそらくまだ東京地検。'99年、判事に転身、大阪へ。
言葉:標準語。中学まではバリバリの茨城弁を駆使していたが、高校で東京の進学校に進んだのを機に、標準語をマスター。言葉コンプレックスが未だ強いため、東京に長年暮らしても大阪弁を自由に操る合田に憧憬を抱き、合田の大阪弁が好きという捩れた感情を持っている。
好物:納豆。マヨネーズをかけるなど邪道だと思っている。

*根拠*

身長:長身としか基本書かれていない加納ですが、マークス文庫で合田と二人でいる場面で「ひときわ上背のある大の男が二人」という表現が見られます。よって合田と同じくらいの身長だと考えられます。そこで合田の身長を推測すると、レディ・ジョーカーで布川186センチを「数センチの差」としています。「数センチ」を何センチと取るかは判断に迷うところですが、せいぜい2、3センチでしょう。ということで、まず合田を183センチと決定。合田が主役なのでどこまでも合田がいい男でなければいけない!と高村さんの中で合田の理想化は激しいことになっていると思われるので、そこから1センチだけ引いて加納は182センチということに。

体重:健康的なBMI22=73kg。しかし加納は不規則な生活をしているのでやや不摂生、痩せ型であることは間違いない。でも健康に気づかい、合田と違って休日などはしっかり自分で料理するので、ガリガリのヒョロヒョロとも違う、スリム型。ということでBMI21あたりを採用。もうちょっと軽いかも??

髪型:おそらくある程度分け目をつけたり流れを作る程度の長さはあるが、割と短めではないかと思う。多少散髪に行けなくとも鬱陶しくならない程度に。加納ファンとしてはつい風になびくさらさらヘアなど想像したくなるが、彼が山男であることを忘れてはならない。(マークス文庫下巻で合田に「髪が立ってる」と笑われ「梳かしたんだけど」と応えている場面があるので、短いことは確か)

車:実用的に、頻繁に洗わなくても大丈夫な色を選んでそう。

学歴:吾妻ペコさん、妹の貴代子など東大出身者にはかならず東大、東大とことあるごとに書いている高村さんが決して合田の出身については触れない。でも同じ大学の出身である加納を頭脳明晰、俊才などと描写するからややこしい。なんだかんだで東大じゃないの、という思いも捨てきれないが、あえて一橋採用。ただし上では安全圏などと書いたが、一橋も超難関大学である。馬鹿にしてはいけない。ちなみに合田と同じ大学に行きたかった、というのはマークス単行本でのみ「高校・大学の友人」とあるから。他では「大学からの友人」となっているので、その説は採れない。

血液型:LJ文庫で合田に輸血するため献血したことから、同じ血液型であることは判るがABO型は不明。

誕生日:合田が1959年4月生まれで、同学年の加納が「数ヶ月の年長」であることから、おそらく1958年生まれ。合田はもれなく4/1しかありえない。

異動歴:はっきりわかるのは'85に大阪から福井へ飛ばされたこと、'89は京都にいたこと、ほぼ2年ごとに転勤すること。以上はマークスの山に記述があります。ところが照柿では、司法修習を含めて大阪、京都、福井、新潟、また京都と地方を11年転々、との記述。ここでややこしいのが、照柿の記述だと'85は京都と考える方が自然であることです。ところがマークス文庫で大阪から福井へということが明確に書かれている。ので、無理やり大阪を1年だけねじこみました。正解はおそらく高村さんご本人にもわからないでしょう・・・トホホ。

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